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2026年7月29日水曜日

ちょうどいい

 


「ちょうどいい」が持つ心地よさと、ふとよぎる問い

料理の塩加減や、お皿に盛る量。あるいは、心地よいと感じる場所、新しく新調したバッグのサイズなど、「ちょうどいい」という表現は、私たちの生活のあちこちで使われます。多すぎず、少なすぎず、今の自分にピタリとはまるその感覚は、ささやかな満足感を与えてくれます。しかし、ふと手を止めた瞬間に、ひとつの深い問いが胸の奥底から湧き上がってきました。人生についてはどうだろうか? 「ちょうどいい人生」なんて、果たしてあるのでしょうか。人との関わりにおいても同じです。「ちょうどいい関係」とは一体何でしょう。 私たちは、相手との距離が近すぎてすり減ってしまったり、逆に遠すぎて孤独を覚えたりします。常に揺れ動きながら、自分にとっての「正解」や「適量」を探し求め、決して手に入らない完璧な均衡を求めて葛藤し続けているのではないでしょうか。

 


「十分である」という真理

私たちが「ちょうどいい」を見失うのは、それを自分の力でコントロールし、秤にかけようとするからかもしれません。自分の理想のサイズに、人生や他者を無理やり当てはめようとする時、そこには必ず「足りない」という欠乏感や、「重すぎる」という重圧が生まれます。

聖書を開くと、自らの弱さや変えられない現実に苦しんでいたパウロに対して、神が語りかけた言葉が記されています。

  • 「わたしの恵みはあなたに十分である。」(コリントの信徒への手紙二 12:9

この「十分である」という言葉こそが、神の視点から見た究極の「ちょうどいい」なのだと気づかされます。 神様が今日、私たちに与えてくださる恵みは、決して大きすぎて持ち余すことも、小さすぎて飢えることもありません。今の自分を満たし、今日という一日を歩むために、寸分の狂いもなく計算された「適量」なのです。

 


今、ここにある適量を受け取る

「ちょうどいい人生」とは、何の波風も立たない完璧な人生のことではありません。 また、「ちょうどいい関係」とは、一切の摩擦がない無菌状態の関係のことでもありません。

  • 不完全な自分に与えられている今日の恵みが、「今の私にはちょうどいいのだ」と感謝して受け取ること。

それこそが、私たちの心を焦燥感から解放し、魂に深い安らぎをもたらす鍵なのです。

キッチンの鍋の火を止めながら、今日与えられている人間関係や、目の前の状況のすべてを、神様からの「ちょうどいい贈り物」として受け止め直そうと祈りました。背伸びをして大きなバッグを欲しがるのではなく、今この手の中にあるものの温かさを知ること。

目が覚めたのでしばらく仕事の時間です。今日も、最後まで共に前進です。

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