デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月1日水曜日

今日もまたマーボー豆腐

 


三十年変わらないレシピと、命を味わう余白──効率化の時代に「食べる」を問う

夕食の食卓に、湯気を立てるマーボー豆腐が並びました。 これで三日連続のマーボー豆腐です。ふと自分の身体に意識を向けると、まだどこかに拭いきれない「歯の違和感」が居座っています。明日で処方箋の薬も無くなってしまいますが、焦っても仕方がありません。とりあえず、今週いっぱいまでは自分の身体の様子を静かに待つことにしました。

思うようにいかない身体の揺らぎを抱えながら、スプーンで掬うマーボー豆腐。 実はこの一皿には、私が三十年間守り続けている作り方があります。

 


寮生活の記憶と、食べるという生存本能

このレシピの始まりは、昔、大学の寮生活時代にまで遡ります。 当時の私は若く、あり余るエネルギーを抱えていました。自分で作ったフライパンいっぱいのマーボー豆腐を、あっという間に平らげてしまった日のことを、今でも鮮明に覚えています。

三十年という歳月が流れ、食べる量も身体の強さもすっかり変わりました。 それでも、フライパンの底でふつふつと香り立つ市販ソースの匂いは、あの日の記憶をそっと呼び起こします。今の私が作るマーボー豆腐は、卵を2つ落とし、溶けるチーズを2枚加え、粉唐辛子で少しだけ刺激を添えた、やわらかく食べやすい一皿です。 噛むことが難しい状態が続く中で、こうした工夫をしながら栄養を摂ることの大切さを、身体の「違和感」や薬の存在が静かに教えてくれます。生き物はすべて、食べなければ命を繋ぐことができません。 その冷徹な自然の掟の中で、今日も私はフライパンを温め、ゆっくりと自分のペースで食事を整えています。

 


「生存」から「文化」へ、そして「効率」へ

しかし、人間という生き物はどこか特別です。 他の動物たちが「ただ生き延びるため」だけに餌を口にするのに対し、人間だけは、いつしか食べる行為に意味を見出し、一つの「文化」として、時には美しい「芸術」として昇華させてきました。

器を選び、旬の命を愛たい、火の通り具合に祈りを込める。 それは一体、いつ頃から始まったのでしょうか。おそらく人間が、食事の時間を単なる「栄養補給」ではなく、神様が与えてくださった自然の恵みに感謝し、大切な人と心を通わせる「喜びの儀式」だと気づいた時からでしょう。

 


ところが、現代の風景を見渡すと、不思議な逆転現象が起きています。

かつて人々が多くの時間を費やし、愛しんできた「食べる(作る)」という行為は、今やできるだけ時間をかけずに済ませるべきタスクになりつつあります。 「時短」「簡単」「三分でできる」。そうした料理がもてはやされ、求められる時代になりました。忙しすぎる現代社会において、それは生きていくための必然の知恵かもしれません。しかし、効率化の波の中で、私たちが手放してしまった「時間」の中には、本当はとても大切なものが隠されていたのではないでしょうか。

 


命のペースを取り戻すための食卓

聖書の中で、イエス・キリストは人々と共に多くの食事の席に着きました。 効率を重んじるなら、食べ物など一瞬で胃袋を満たせば済むはずですが、彼はあえて時間をかけ、パンを裂き、杯を分け合い、人々と食卓を囲むプロセスを大切にされました。

時間をかけて料理を作り、それをゆっくりと味わうこと。 それは、「私は機械ではなく、神に生かされている血の通った人間である」ということを思い出すための、静かな抵抗であり、祈りでもあります。

 


三日連続のマーボー豆腐。 三十年前と同じ手順で豆腐を切り、火を入れ、とろみをつける。その変わらない手作業の時間が、身体に違和感を抱える今の私に、「焦らなくていい」「命のペースで進めばいい」と、優しく語りかけてくれる気がします。

世の中のスピードがどれほど速くなっても、自分の命を養うための時間は、決して無駄な時間ではありません。 薬が切れる不安や、思い通りにならない身体の痛み。そうした自分の弱さを受け入れながら、今日与えられた温かい一皿を、丁寧に身体へと取り込んでいく。明日もまた、変わらないレシピで命を繋ぎましょう。

今日も、共に前進です。

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