打ち上がる喧騒と、揺るがない足音:自分のペースという名の巡礼路
今朝は5時ごろ、大年寺山公園の階段を走って上り、愛宕神社の前へと差し掛かったところで、ふと無性に走り出したい衝動に駆られました。
今日はもともと散歩の服装で、ランニングには適していない格好とシューズでした。それでも、心の赴くままに足を進めることにしました。久しぶりに西公園から尚絅学院中高の近くまで足を伸ばし、そこで折り返して、広瀬橋を渡って帰ってくるという道のりです。
見上げる空は、清々しい快晴。 穏やかに流れる広瀬川のほとりでは、明日開催される長町の花火大会に向けた準備が、着々と進められていました。
祭りの熱気と、年に一度の「耳栓」
明日、夜空には大輪の花火が打ち上がり、街は非日常の熱狂に包まれることでしょう。しかし、明日は私にとって、年に一度だけ「耳栓をして寝る日」でもあります。
世間がどれほど華やかなイベントで盛り上がっていようと、それが私の静かなルーティンを妨げることはできません。
私たちの生きる社会には、花火のように目を引く出来事や、耳を奪うような大声が絶えずあふれています。それに心を躍らせることも時には良いでしょう。しかし、世間の熱気や周囲のペースに無防備に巻き込まれ、自分自身を見失ってしまっては元も子もありません。
本当に大切なのは、どんな喧騒のそばにあっても、日頃の自分のペースを静かに守り抜くこと。周囲の大きな音に影響されることなく、自分に与えられた道を淡々と歩み続けることなのです。
準備という名の、静かな歩み
自分のペースを守ることは、遠くを見据えた準備にも繋がります。
今度予定しているサンティアゴ・デ・コンポステーラへの祈りの旅。その準備も、熱を持たず、しかし着々と進められています。すでに航空券は手に入れ、スペインでの巡礼スタート地点へ向かうための高速バスの予約も完了しました。残るいくつかの宿の予約などは、焦らずに来月に行う予定です。一歩一歩、自分の足幅を確認しながら進めるこの準備そのものが、すでに巡礼の道の一部となっているのを感じます。
聖書には、自らの歩みを確かにするための、このような知恵の言葉があります。
「あなたの目は前をまっすぐに見つめ、まぶたはあなたの前をまっすぐに向けよ。あなたの足の道に心を配れ。そうすれば、あなたのすべての道は確かなものとなる。」(箴言 4:25-26)
他人の走る速さや、横で打ち上がる花火の明るさに目を奪われる必要はありません。自分の足元に心を配り、神様から与えられた今日という「自分の道」を真っ直ぐに見つめる時、私たちの歩みは誰にも奪われない確かなものとなります。
巡りゆく命のエネルギー
今日も我が家の家族は、それぞれの場所で、自分に与えられた使命を懸命に果たしながら歩んでいます。私はその歩みを、車の送迎や、台所での料理、そして部屋の掃除などを通して応援しています。誰かのために働くことは、一見すると自分の時間やエネルギーを与え尽くしているように思えるかもしれません。
しかし、私が整えた日常の土台の上で、家族が健やかに、元気に生き生きと過ごしてくれること。それは巡り巡って、私自身の心を満たし、私を生かす大きな力となります。結局のところ、愛する者を応援することは、自分のためでもあるのです。
- 周囲の音に惑わされず、耳栓をしてでも自分の静寂を守ること。
- 歩きにくい靴であっても、心が動いた時には走り出してみること。
- 愛する者のために、今日できるささやかな応援をすること。
広瀬川の穏やかな流れのように、今日も自分のペースを見失わず、確かな足取りでこの日常を歩いていきましょう。朝ラン22キロ完走。
今日も、共に前進です。
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