雲の向こうの確かな光:見えない世界が私たちを包む朝
日付が変わってすぐの、0時11分。二度寝の誘惑に身を委ねることなく起床し、静けさの中でいつものルーティンワークを終えました。そして、まだ夜の暗闇が深く支配する3時前、今日の一歩を踏み出すべくランニングをスタートさせました。
今日のコースは、山田インター方面へと向かい、そこから広瀬川沿いを経て帰宅する道のりです。 肌を撫でる風は涼やかに心地よく、身体の熱を優しく奪いながら、静かな喜びとともに走ることができました。30キロ完走です。しかし、空は厚い雲に覆われており、私がいつも楽しみにしている「あるもの」を見ることはできませんでした。
隠された朝日と、揺るがない事実
それは、夜明けを告げる朝日です。 暗闇が少しずつ薄れ、地平線の彼方から力強い光が昇ってくるのを目の当たりにすることは、一日をスタートさせる人間の心をどれほど明るく、そして前向きにさせてくれることでしょう。光を視覚で捉えることは、私たちに直接的な希望を与えてくれます。しかし今朝は、その太陽がすっぽりと雲に遮られていました。空を見上げながら、私は走りながら深く思索しました。
太陽が見えなかったからといって、今日、太陽が昇らなかったわけではありません。私の目がその輝きを捉えられなかっただけで、太陽は昨日と変わらず、確かな軌道を描いて上り、この世界全体を明るく照らし出しているのです。
見えない世界が持つ「広さ・深さ・高さ」
私たちは往々にして、「目に見える世界」がすべてであると錯覚して生きています。 目に見える成果、目に見える健康、目に見える人間関係。それらが曇り空のようにどんよりと沈んでいる時、私たちは「光はどこにもない」と絶望しそうになります。見えないものを信じ続けることは、時に大きな忍耐を必要とするからです。
しかし、真実は違います。 聖書に、このような言葉が記されています。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙二 4:18)
- 目に見える世界は、ほんの一部に過ぎない。
- 目に見えない世界の方が、はるかに広く、深く、高く、私たちを取り囲んでいる。
私たちの目には見えなくても、雲の上には常に太陽が燃えているように。私たちが苦しみや悲しみの雲に覆われ、人生が真っ暗に見える時であっても、神の深い恩寵と慈しみは、決して私たちを見捨てることなく、常に高く、広く、私たちを包み込んでいるのです。
見えない光を信じて歩む
朝日が見えなかった曇り空の朝。それは「光がない朝」ではなく、「見えない光を信じることを学ぶ朝」でした。
今日、あなたの目の前に広がる現実が、もし厚い雲に覆われているように見えたとしても、どうか落胆しないでください。あなたの頭上には、必ず希望の太陽が昇っています。見えない世界の確かな温もりが、今日という日を生きるあなたを、見えないところで力強く支えています。自分の視覚や感情だけを頼りにするのではなく、私たちを包み込む大いなる見えない世界へ信頼を置きながら、確かな一歩を踏み出していきましょう。今日も、共に前進です。
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