すり減った靴底と水辺のハクチョウ:私たちの内なる「見えない戦争」を止めるために
昨日のランニングの疲労が、右側のかかとに鈍い痛みとして残っていました。 そのため今朝は無理をして走ることをやめ、大年寺山公園への散歩へと切り替えました。痛みの原因の一つは、間違いなく靴底のすり減りです。
一般的に、ランニングシューズの寿命は走行距離500キロから700キロだと言われています。しかし、月に500キロを走る私にとって、その一般論を真面目に守れば、わずか45日ごとに新しい靴を買い替えなければならない計算になります。決して安価ではないシューズをその頻度で消費することは現実的ではないため、私はそのセオリーを横に置き、二足の靴を交互に使いながら、1年間という時間をかけて履き潰すことにしています。
痛みと妥協を抱えながら、涼しい風に背中を押されて公園の階段を駆け上がり、そして静かに歩きました。 川辺へ目を向けると、ハクチョウや河の鳥たちが、水面で羽を休めながら元気な姿で新しい朝を迎えていました。空の青さと鳥たちの静かな息づかいが溶け合う、本当に美しく、平和な風景でした。
11時2分に消え去った日常
今、私の目の前に広がっているような、涼やかな風と鳥の声に包まれた平和な朝。 1945年8月9日の長崎も、もしかすると同じような、ごくありふれた平和な朝の始まりだったのかもしれません。
しかし、午前11時2分。 一発の原子爆弾が投下され、そのささやかな平和は一瞬にして消え去り、大地は想像を絶する地獄のような光景へと変貌してしまいました。
黒澤明監督の映画『八月の狂詩曲』の中で、原爆の傷を抱えるおばあちゃんは「アメリカ人が悪いのではない、戦争が悪いんだ」と語りました。その言葉を厳密に突き詰めれば、「戦争を起こした人間そのものに罪がある」という重い事実に行き当たります。
あれほどの悲劇を経験し、戦争の恐ろしさを知っているはずなのに、なぜこの世界から戦争は絶えないのでしょうか。
形を変えて宿る「心の戦場」
その答えは、戦争が単に国と国との間で起こるものだけではないからです。 目に見える爆弾の雨が止んでも、戦争は決して終わってはいません。それは形を巧妙に変え、今度は私たち人間の「心の中」に深く宿り続けているのです。
- 自分より恵まれている者への、黒い妬み。
- 自分とは異なる意見を持つ者への、激しい憎しみ。
- 匿名という安全な場所から放たれる、容赦のない誹謗中傷。
これらはすべて、現代における「見えない戦争」です。私たちは今、銃弾やミサイルの代わりに、冷たい言葉と悪意という武器を使って、隣人の心を深く傷つけ、見えないところでその魂を殺し続けています。平和を願いながら、自らの手で身近な平和を破壊しているのです。
知恵ある人の舌は人を癒す
聖書は、私たちが日々用いている「言葉」という武器の恐ろしさと、その本来の役割についてこう語っています。
「軽率に語って、剣で刺すように人を傷つける者がある。しかし、知恵ある人の舌は人を癒す。」(箴言
12:18)
私たちの内にある妬みや憎しみは、放っておけば必ず誰かを刺し貫く剣へと変わります。 私たちがなすべきことは、遠い国の戦争を憂うことと同時に、まず自分自身の心の中にある「戦争の火種」を静かに見つめ、それを消し止めることです。
すり減った靴底で、痛みを感じながら歩く人生の道。 私たちは不完全で、時に人を傷つけてしまう弱い存在ですが、それでも「人を癒す知恵」を選び取ることはできます。今日、あなたが出会う人に対して放つその一言を、剣ではなく、平和を創り出すための温かな包帯へと変えていきましょう。
今日も、共に前進です。
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