暗闇を照らす一筋の光と、夜明けを渇望する魂:見知らぬ街を駆け抜けた23キロ
昨夜は22時ごろ、アルバイト先で働く娘を迎えに車を走らせました。 無事に帰宅した後、待っていたノアを連れて夜の散歩へ。そして、一日の終わりのゴミ出し。いつもであれば、ここで布団に潜り込んで「二度寝」の心地よさに身を委ねるところですが、昨夜はなぜか、夜中のランニングに出かけることにしました。
スタート地点に立ったのは、22時52分。
太陽の光に満ちた朝の道とは違い、夜の闇は深く、足元さえおぼつかなくなります。私は手に持ったライトで暗闇の道を照らし出しながら、静寂の中へと足を踏み入れました。
コースのない道と、小さな手元の光
昨夜は、あらかじめコースを定めていませんでした。ただひたすらに、前へ前へと走り続けました。
暗闇の中、ライトの光だけを頼りに進んでいくうちに、ふと、自分がこれまで走ったことのない見知らぬ街の風景の中にいることに気がつきました。暗がりに浮かび上がったのは、大梶にある中嶋病院の建物。初めて訪れる街の空気を肌で感じながら、そこから大きく方向を変え、見慣れた仙台駅の方へ。そして最後は広瀬橋を渡り、無事に自宅へと帰り着きました。
- 行き先が分からないまま、見知らぬ街を走る不安。
- それでも、手元のライトが一歩先の道を確実に照らしてくれる安心感。
この「夜中のランニング」は、私たちが歩む人生そのものに似ているのかもしれません。
闇夜の静寂と、私たちが本当に求めるもの
私たちは時として、人生のコースを見失い、真っ暗闇の中を手探りで歩まなければならない時期を経験します。先の見えない不安の中で、たどり着いた場所が全く見知らぬ景色(状況)であることも少なくありません。
聖書は、そのような暗闇を歩む私たちに、一つの確かな道具を手渡してくれています。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯(ともしび)。」(詩編
119:105)
神様の言葉は、何十キロも先まで見通せるような強烈なサーチライトではないかもしれません。しかし、暗闇の中で迷う私たちが「次に踏み出すべき確かな一歩」だけは、決して見失わないように、手元を優しく、そして力強く照らし出してくれます。
ライトを握りしめ、23キロを完走した夜中のランニング。 寝静まった街の静けさの中を走るのも、案外悪くない時間でした。しかし、暗闇を走り終えた私の心の一番深いところにあったのは、「やはり自分には、夜明けのランニングが一番だな」という静かで確かな気づきでした。
闇夜には闇夜の安らぎがありますが、人間の魂は本能的に、世界が新しく生まれ変わる「夜明けの光」を渇望するように創られているのです。
光を信じて、今日を生きる
これから少しだけ仕事に向かい、それからいつもの二度寝の眠りにつきます。 目を覚ませば、そこには必ず、私が心から愛する「夜明け」が待っています。
あなたの今の人生が、もし暗闇の中を手探りで進むような道のりであったとしても、決して恐れることはありません。手元にある小さな光(御言葉と祈り)を信じて、今日踏み出すべき一歩を淡々と重ねていってください。見知らぬ街を巡り巡っても、道は必ず、あなたを夜明けへと導いてくれます。
今日も、共に前進です。
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