近道を捨てて味わう「海千山千」の恵み
早朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、長く続く道を走り出します。規則正しく地面を叩く足音と、次第に荒くなる呼吸。ふと顔を上げると、目の前には越えるべき坂道や起伏が、まだはるか遠くまで続いています。その道のりを見つめながら、私は私たちの「生きる営み」について深く思いを巡らせていました。
人生という名の迷路と、連なる山々
人生は、まるで先の見えない迷路のようです。次から次へと予期せぬ課題が押し寄せ、
それは行く手を阻む「山々」となって私たちの前にそびえ立ちます。
なんとか歯を食いしばり、一つの山を越えて安堵したのも束の間。息をつく暇もなく、
視界の先にはまた次の山が立ちはだかっています。どれほど強く願っても、人生が抱えるすべての課題を、一気に解決することなど到底できません。
しかし、立ち止まって心の奥底に問いかけてみると、不思議なことに気づきます。 もし、すべての課題が魔法のように一瞬で消え去り、何の苦労も痛みもなく、一気に頂上へと運ばれてしまうような人生があったとしたら。私はおそらく、そのような味気ない人生を「生きたい」とは思わないでしょう。
近道を探す心と、生きる手応え
それにもかかわらず、私たちはしばしば、目の前にある人生の山々を一気に上ろうと焦ってしまいます。少しでも早い道を、少しでも楽な道を探し求め、ショートカットをしようと足掻きます。しかし、この世に命を与えられ、生まれ落ちたということは、酸いも甘いも噛み分け、「海千山千」の波乱を乗り越えて生き抜かなければならないということです。なぜなら、その泥臭くも切実な過程のすべてが、「生きる」ということそのものだからです。人生の山は、決して急がず、ひとつひとつゆっくりと上ることが何よりも大事なのです。
歩むほどに増していく力
聖書は、私たちが困難な道を一飛びに越えられるとは約束していません。しかし、険しい道を一歩ずつ踏みしめる者には、確かな力が与えられると語っています。
「いかに幸いなことでしょう、あなたによって勇気を出だし、心に広い道を見ている人は。彼らは嘆きの谷を通るときも、そこを泉とします。……彼らは歩むほどに力を増し、シオンで神にまみえます。」(詩編 84:6-8)
険しい山道や、涙を流すような嘆きの谷を避けて通ることはできません。しかし、近道を探すのをやめ、目の前のひとつの山に静かに向き合い、ゆっくりと足を前に出すとき。私たちが流す汗や、悩んだ時間、その一歩一歩のすべてが、私たち自身の魂を豊かに耕す「泉」へと変わっていくのです。
- 一気に解決できないからこそ、今日を生きる意味がある。
- 楽な道ではないからこそ、手にする喜びに重みがある。
焦る必要はありません。目の前にそびえるその山は、あなたを打ち負かすためではなく、あなたの命をより深く、美しく輝かせるために用意された道のりなのですから。深く息を吐き、また一歩、ゆっくりと足を踏み出していきましょう。
今日も、共に前進です。
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