雨の匂いと静寂の足音、生き抜くという名の祈り
深夜2時過ぎ、小雨の降る中で愛犬ノアとの一日が始まりました。
階段の上から、今日も一人で無事に下りてこられるだろうかと、祈るような気持ちで息を潜めて待ちます。一段、また一段。無事に下りてくるその姿を見るだけで、胸の奥に静かな感謝が広がります。
一日の始まりに、私が最も早く言葉を交わすのはノアです。彼は無言ですが、その豊かな表情で確かに「おはよう」と語りかけてくれます。
ゆっくりと刻まれる、命のリズム
資源ごみの回収日である今日は、缶と瓶の入った箱を片手に持ちながら2人で歩き出しました。
今日のノアの歩みは、いつもより少しゆっくりでした。小雨が降る静寂の早朝、近くの小学校を一回りする道のりには、ただノアの優しい足音だけが響いています。 帰宅後、彼はゆっくりと階段を上り、途中の踊り場でふと立ち止まりました。私が事務室につながるドアの向こうへ姿を消すのを、じっと見届けてから、二階の自分の小屋へと入っていくのです。そのけなげな後ろ姿に、言葉以上の深い繋がりを感じます。
仕事に向かう前、ふと急にラーメンが食べたくなり、以前買っておいたカップ麺一つとバナナを口にしました。普段はできるだけインスタントを避けていますが、たまにはこうした人間らしい欲求に身を任せるのも、また日常のささやかな味わいです。
92年という歳月が放つ光
今日は、教会員の中で最高齢となる方の92歳のお誕生日です。最高齢者のみ特別な日には手紙を直接届けることにしていますが、小雨が続いていたため、走って行くのはやめて車を走らせました。
午前3時20分に出発。泉区の将監までの道のりは、決して短い距離ではありません。過去に何度もこの道を自分の足で歩いて訪問した記憶を重ね合わせながら、ハンドルを握りました。無事に手紙を投函し、帰宅できたことにまた一つ感謝が重なります。
「自分も92歳まで生きられるかな?」 決して長く生きることを強く望んでいるわけではありませんが、この兄弟の姿を思い浮かべると、そんな問いが自然と頭をよぎります。
病気を抱えながらも、ご自宅からバスで泉中央駅へ向かい、電車に揺られて長町駅で降り、そこから自らの足で歩いて教会へとやって来られるのです。その姿を見るたび、私の胸は熱く打たれます。
命ある限りの礼拝
- 歩みが遅くなっても、確実に前へ進むこと。
- 体が痛んでも、見上げるべき光を忘れないこと。
彼のその歩みそのものが、「命がある限り、主なる神様を礼拝し、信仰によって生きる」という力強い説教として私たちの心に響いてきます。それは、今朝のノアの静かで確かな足音ともどこか重なる、命の尊い輝きです。
今日は、リフレッシュの日と決めました。明日からの新たな歩みのために、心と体を静かに整え、備える一日にします。 命の長さを決めることはできませんが、与えられた今日という一日を、どのように生きるかは私たちが選ぶことができます。
今日も精一杯に生きる。
今日も、共に前進です。
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