デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年8月13日木曜日

おはようございます!

 


濃霧に響く二つの「おはよう」:交わらない時代の中で、心の空を晴れやかに保つ

午前5時過ぎ、重くまとわりつくような湿気と、雨、そして濃い霧に包まれた朝。 いつもの散歩コースへ足を踏み入れると、そこにはすでにそれぞれの道を歩き、走り、自分の目的地へと向かっていく人々の姿がありました。視界を遮る白い霧の中で、互いの影が近づいては、また静かに遠ざかっていきます。

 


坂道と階段で交わされた、対照的な挨拶

大年寺山公園を目指して急な坂を上っていると、前方から年配の女性が歩いてきました。(この方も山公園の朝礼(?)のメンバーで、何度か見かけた方です。)彼女のそばからは、クマよけの代わりになっているであろう、大きなラジオの音が響いています。 すれ違う瞬間、ラジオのアナウンサーが元気な声で「おはようございます!」と叫びました。私は彼女の代わりに挨拶をしてくれたその声に反応し、心の中で静かに「おはようございます」と挨拶を返しました。直接言葉を交わさなくとも、不思議と温かいものが胸をよぎりました。その後、愛宕神社の階段を降りる時のことです。今度はすれ違った一人の女性が、私に向かってはっきりと「おはようございます!」と声をかけてくれました。私もすかさず「おはようございます!」と声に出してお返しをしました。

  • ラジオを通じた、心の中の静かな挨拶。
  • 階段ですれ違った、肉声の温かな挨拶。

霧の深い朝に響いたこの二つの「おはよう」は、私の心に小さな灯りをともしてくれました。

 


干渉しない時代の「自然な距離感」

ランニングや散歩の最中、見知らぬ人同士が挨拶を交わすことは、今の時代、ほとんどなくなりました。 皆、視線を合わせず、ただ黙々と自分の道を進んでいくだけです。しかし、その無言のすれ違いに対して、私たちはもはや何の違和感も、心の負担も抱かなくなっています。それは現代社会が生み出した、極めて「自然」な距離感なのです。

人間の他者には声をかけない人に限って、散歩中のペットには優しく声を掛けている風景もよく目にします。 それもまた、一つの愛の形であり、決して悪いことではありません。私たちは皆、それぞれの心地よい距離感の中で、自分だけの小さな世界を守りながら生きているのです。

 


心地よい言葉がもたらす「魂の晴れ間」

それでも、愛宕神社の階段で交わしたあの短い言葉が、重い湿気の中で私の心をふっと軽くしてくれたことは確かな事実でした。聖書には、このような言葉があります。

「心地よい言葉は蜂蜜のよう、魂に甘く、骨を健やかにする。」(箴言 16:24

無理をして全員に声をかける必要はありません。時代が変わり、人が交わらなくなったことを嘆く必要もありません。 しかし、誰かの口から発せられた誠実な一言は、蜂蜜のように魂を潤し、霧の立ち込める暗い道に一瞬の晴れ間を作ってくれる力を持っています。心の中での無言の挨拶であれ、声に出した挨拶であれ、他者の存在を承認するそのささやかな営みは、確実に私たちの内側を新しくしてくれます。

 


心の天候は自分で選べる

今日は娘がアルバイトに行く日であり、また夜には車で彼女を迎えに行きます。 外の世界は今日一日中、雨と霧に包まれ、息苦しいほどの湿気に満ちていることでしょう。しかし、外の天気がどうであれ、「心の中の天候」だけは、私たち自身で決めることができます。重い足取りですれ違う人々の無言の背中にも、それぞれの人生の重さがあります。 その重さを静かに尊重しつつ、私は今日、心の中の空だけは高く晴れやかにして、自分の歩むべき道を真っ直ぐに進んでいこうと思います。

今日も、共に前進です。

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