終わりのある世界で、何を建てるか:街の解体音と、限りある命の「質」
いつものように街を走っていると、あちこちから重機の響きが耳に飛び込んできます。
解体工事、そして新築工事。古い建物が大きな音を立てて壊されて更地になり、やがてそこに新しい建物が背を伸ばし始める。今や、工事の現場が見当たらない場所はないほど、街の至るところで絶えず何かが壊され、何かが造られています。
永遠に立ち続けるものは存在しない
どれほど立派に建てられた一般住宅であっても、時が経てば必ず古くなります。数十年の間に何度か壁の補強工事が行われたとしても、永遠にそのままの姿で立ち続けることはできません。いつかは必ず壊され、土へと還っていく運命にあります。
走りながらその景色を見つめていると、ふと、その営みが私たち人間の姿に重なりました。この国の平均寿命は、80年を超えています。その長い道のりの中で、私たちもまた体のどこかが傷み、壊れ、病院で治療を受けます。それは言ってみれば、命をつなぎとめるための「体の工事」です。しかし、どれほど丁寧に修繕を重ね、健康に気を配ったとしても、人間もまた必ず最期の時を迎えます。
終わりのない人生は存在しません。永遠に立ち続ける建物も存在しません。私たちはみな、例外なく「タイムリミット」が定められた世界を生きているのです。
「長さ」から「質」への転換
限りがあるということ、終わりが来るということ。それは一見すると、虚しさや寂しさを伴う事実のように思えるかもしれません。しかし、その限界があるからこそ、私たちは人生において最も大切な問いと向き合うことができます。
それは、人生の「長さ」ではなく「質」への問いです。
聖書には、朽ちていく肉体と、そこから生まれる希望についてこのように記されています。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(コリントの信徒への手紙二 4:16)
私たちの外側の建物(肉体)は、どれほど補強してもやがては衰え、限界を迎えます。しかし、その内側に流れる時間、すなわち「どういう人生を生きているのか」「どういう人生を生きてきたのか」という魂の質は、決して朽ちることはありません。
限りある時間の中で、私たちが築くもの
タイムリミットが存在するこの世界で、私たちが真剣に考え、歩むべき一番大事なテーマ。それは、どれほど長く建っていたかではなく、その限られた時間の中で、どれほど誠実に誰かを愛し、どれほど深く感謝を紡ぎ出せたかということです。
今日も街には、解体と建設の音が響いています。その音は私たちに、「今ある命の時間を、どのように使っているか」を静かに問いかけています。
衰えゆく身体を慈しみながら、限界のある命の枠組みの中で、決して壊れることのない「質の高い豊かな人生」を築き上げていきましょう。だからこそ、今傍にいる家族を愛し合うことです。条件なしに、愛し続けることです。
今日も、共に前進です。
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