2022年6月16日木曜日

祈りとは?

そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。(ヨハネ4:6

〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。(ルカ23:34

 


イエス・キリストは神の国を宣べ伝える公の生涯を始められてから宣教の旅をつづけました。パレスティナ地域を歩き回り、福音を宣べ伝え、病人をいやし、群衆に教えられました。しかしイエス・キリストの姿の中で著しく現れているのは祈る姿でした。主イエスは最初から最後まで一貫して祈る姿を私たちに示しました。

それが十字架の上で死ぬまで続いたのは大きな意味があると思います。忙しいあまり、または、この世の事に捉えられ忘れがちな祈りを決して忘れず生きるようにとのことでしょう。祈ることで神様の存在に改めて気づき、思い煩いや不安を克服し、希望と毎日生きるための力が与えられるのです。聖書の創世記から黙示録まで祈りが出てこない聖書はありません。

聖書に登場する偉大な信仰者たちは全員祈る人でした。イエス様が私たちに教えた数多い教えの中でご自分が直接実践しながら私たちに教えたのは他ではなく祈りでした。祈りは私たちの霊と心が生きるための呼吸であるのです。 



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