互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。(エフェソ4:32)
人間は一人では生きられない存在として造られた者である。それで神様はアダムにエバを与えてくださった。けれども与えられたエバはあくまでもパートナーとして、同僚として同伴者として与えられたことを忘れないことが重要である。それを所有物として、自分の欲を満足させるための手段として考えた場合、その関係は破壊される。自分が大切な存在であるように、相手も大切な存在として接するときに正しい人間関係が生まれ、保たれ、深まるのである。
「間」がつく言葉には、人間、時間、空間がある。これらの共通点は人間が生きるための基本的な条件である。人は流れる時の間に、暮らす空の間に、そして人との関係の間に生きるしかない存在である。人間が真の人間であるために必要なのは自我を越えて生きることである。欲をコントロールできる存在、それが動物と違った人間である。例えばのどが渇き、疲れ切っていっぱいの水が欲しいときに、それを手に入れたのだが、しかし自分と同じ状況にいる隣の人に譲り、自分はその次に、と考え、判断し、行動したことである。自分の欲を越えて行う姿が真の人間をしめすことである。
共に生きるために、家族の平和のために何が必要か?それは自我と欲を越えて、先に相手を配慮することである。性急に判断し、行動することなく、もう一度考えて行動し、周りの人々を配慮して生きるときにそこに平和の花が咲き、愛の実が結ばれるのである。今日も精一杯に愛し、親切にし、配慮して生きることだ。それは結局、自分のためになるからだ。相手を愛する事は自分を愛する事である。相手に親切にすることは、自分に親切にすることだ。相手を配慮することは、自分を配慮することである。この愛の原理を覚えて生きる事が重要である。
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