「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネによる福音書8:31-32)
雷、人身事故、二人をそれぞれ駅まで、仕事先まで車で送る、やまびこ湯、買物、ランチ、掃除、読書、ビール、ケンタッキー・フライド・チキンの料理、散歩、きゅうり漬け、説教準備、週報のコラム・・・・・・昨日の出来事の中で・・
今日も繰り返される日常の出来事が進行中である。
これが人生である。
大義のための働きではなくても、
国を動かす力がなくても、
今、与えられた家族のための小さな奉仕、優しい一言、笑顔、美味しい料理、掃除・・・
そして主にある兄弟姉妹たちのために祈るひと時は、かけがえのない大切な時間であることを覚えて生きることが重要である。神様は私たちに命と共に使命も与えてくださったことは確かである。ただ生きるためではなく、目的があるがゆえに命が与えられ、同時に使命も与えられたのである。
その使命とは愛する使命である。なぜなら人間は自然に愛する事が出来ない存在であるからだ。人を選び、環境と状況によってその愛は頻繁に変わってしまうからである。だからこの世界で一番難しいのは愛する事である。しかし愛する事こそ、我々人間に与えられた本当の大義である。
神を愛し、隣人を自分のように愛する事こそ、本当の大義であるかも知れない。自分の小さな犠牲を通して家族が喜び、微笑、幸せを感じるならばこれ以上嬉しい事はないはず。主にある兄弟姉妹たちのための執り成しの祈りが彼らを支える力であるならばそれ以上の嬉しい事はない。これこそ真の大義である。今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きることだ。今日も自分の道を歩み続ける。
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