2022年8月16日火曜日

今日は乾杯の日

 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2:1416

 


争いの時、喧嘩の時、誰かが間に入って争いが止み、喧嘩が止む場合があります。しかしそういう調停役の人々がいない場合、争いが、喧嘩が最悪の結果をもたらすのです。最近起きている事件がそれを物語っているのです。口論になり、かっとして妻を殺す。夫を殺す。子どもを、親を、家族を死へと追いやる出来事が少なくありません。家族の問題だけではありません。国々の間の戦争も同じく起こっているのです。平和という言葉があふれている今、皮肉にも争いが多い現実の中で私たちは生きているのです。

つまり、我々人間の力によっては決して平和は訪れないとのことです。このことを知ることが重要でありますが、ほとんどの人はこの事実を知らずに生きています。少なくとも我家だけでも、自分が知っている主にある兄弟姉妹たちの家族だけでも、毎日、自分が祈り続けている人々だけでも平和の内に暮らしてほしいと願うひと時です。

 


今から17年前の815日、当時、静岡から群馬の桐生市に行きました。出産のために桐生に行っていた妻がもうすぐ子どもを産むと言う連絡があったからです。新幹線と電車と特急で静岡から東京、そして桐生へ向かいました。しかし15日には生まれず、待っていると医師は、お父さんはいつまでいられるかと言われ、17日には仕事があるので戻らないといけないと伝えると何とか頑張って16日には生まれるようにしましょうと言いました。そして16日の夕方に子どもが生まれました。生まれた子どもを抱いたとき、軽いと感じました。生まれたばかりの人生は軽く感じるのです。これがだんだん重く感じ、実際に様々な意味でそういう人生が始まるのです。

 


816日の夜、静岡に戻る途中、地震が起き電車は停車。結局、再開して乗ったのは夜行列車でした。そして静岡に着いたのは明け方でした。その出来事で今も忘れられない娘の誕生の時です。予定日は815日だったので名前を「イレネ」とつけました。ギリシャ語で「平和」という意味です。よくヨーロッパではイレーナとか英語ではアイリンという名前で呼ばれますが意味は同じです。イエス・キリストによる平和が娘にも訪れてそういう人生を歩めますようにとの祈りを込めた名前です。

 


それがもう17年の時を過ぎようとしています。今日は娘の好きな料理を作りました。おそらく僕の料理の中で一番時間がかかる料理かも。ビーフではなく、我家ではポークシチューを食べています。約2時間はかかる料理でいつも美味しいと言ってくれるので喜んで作っていますが、これは今まで一度も失敗したことのない自身のある料理かも・・・・・・お昼ごろ、教会員ご夫婦が野菜をいっぱいもってきてくれました。特にトマトを持ってきてくれて嬉しくなりました。我家の食は殆ど自分が担当しているので買物で高くなった品物がよくわかります。この二日間トマトが欲しかったのですが買わずにいたところ今日そのトマトとジャガイモ、ピーマン、ナス、トウモロコシを頂きました。感謝。

 


こうした地球の片隅で起こっている小さな家庭での出来事ですが、しかし宇宙を支配し、すべての命あるものの主である全知全能なる神様を父親と呼んでいる家族の物語でもあります。世界を広く考えた場合、宇宙から見た場合、すべてが小さく、海辺の砂のような存在として見えるのです。誰かをうらやむことも、何かほしいものも、何になりたいこともなく、今に感謝して満足して生きることが恵みであるのです。生きる目的を知り、生きる価値観がわかり、この世での使命が分かった以上、さ迷うことも、脱線することも、挫折することもなく前進することが出来るのです。人生、長くて100年、宇宙から考えると一瞬の時であります。その一瞬の時を生きるのに喧嘩し、争い、妬み、憎みながら生きる、そういう暇なんかないでしょう!愛して生きることです。笑って生きることです。今日は乾杯の日!!!

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