家を建てる人が家そのものよりも尊ばれるように、イエスはモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者とされました。どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。(ヘブライ3章)
満月。
今日のノアちゃんとの散歩は満月で明るく、さらに台風の影響で風もふてくれて気持ちよく歩くことができました。感謝。階段をのぼり、大年寺山公園を一周し、愛宕神社、河原町、広瀬橋を渡って教会に。
台風がやってくる。
思い出。
2009年、御坊はこぶね教会と幼稚園に赴任した年の秋、台風の予報があると牧師が行う作業があった。
旧会堂と園舎の窓を釘でうち、固定させる作業である。強い風で窓が開くからだ。2~3回行った記憶がある。3年目に全てを新築したのでそういう作業は必要なくなり、少しは楽になったが、時が過ぎると苦労も楽しい思い出に変わる。
案外、人間にはそういう面があるかも。だから生きられるのだ。苦労ばかりの人生ではなく、時々訪れる一休み。決して長くは続かないが、休息のひと時がいやしを与え、さらに前進できるエネルギーが生まれてくる。その両面性があってこそ人は強くなり、成長していけるかも知れない。だから無意味な苦労はないはず。ただ自分の過ちで訪れる苦労は別にしても理由なくやってくる苦労には良い意味が含まれている。つまり、今の苦労は自分の成長のために訪れた味方だと受け止めて歩むことである。
お菓子箱。
僕の机の引き出しにはお菓子箱がある。
いつも補充しているので空になることはない。
それを知っている二人は時々引き出しを開けてお菓子をもっていく。
その持っていくことを狙って自分はお菓子箱が空にならないようにしている。僕の楽しみである。
家とは。
家の目的は人間が暮らす為である。
家のために人間がいるのではない。
しかし時々、逆の立場で暮らしている人々がいる。
人間より建物を大事にして暮らす人々である。
暮らすための家ではなく、人に見せるための家である。
パリの露店カフェ
パリの露店カフェで本を読んだり、新聞を読んだり、話し合ったりする風景に憧れる人々がいる。
しかし現実を知ると・・・・・
実はそれには理由がある。
パリの家賃は高い。そのために広々とした家をもつのはお金持ちに限る。
そのために庶民たちは狭い家で暮らすことが多い。彼らにとって家は寝る場所である。
彼らが露店カフェを好み、そこで時間をつぶし、過ごすのは自分の家ではそういう雰囲気を作ることが出来ないからだ。だから多くの若者や人々は露店カフェをまるで自分の家のように味わっていることだ。
ノアちゃんの夏
ノアちゃんのような毛深い犬にとって夏は最悪な季節である。
30℃が過ぎるとクーラーをつけてノアちゃんを家の中に入れてあげる。それも玄関のところだけに。
自分たちがいつまでもいる場所ではないので、後任の牧師家族のための配慮である。ペットに慣れてない人にとって犬のにおいは気になるはず。だから出来るだけ外で飼うことにしている。仕方ない。
退屈なノアちゃんのために時々犬が登場する映像を見せている。するとノアちゃんもじっと見ている。
台風が無事に過ぎ去り、暑さも和らげるように・・・・・
来週は娘の誕生日。
美味しい料理を考えているが・・・・
生きることはしんどいけど、その分、楽しみもある。
生きる目的、生きる価値を知って生きるとすべてに答えが与えられる。
生きることは、愛する事である。
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