2022年8月30日火曜日

諦める勇気


 

モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」(出エジプト記341節~)



礼拝の後、週報発送の作業をしながら、明日は晴れ、夜も晴れという富士山の天気予報を見て登山を決めました。以前、静岡草深教会の頃、教会員に誘われて妻と一緒に吉田ルートから夜登って以来のことです。29日、午前中は佐藤長老と長老会の打合せがあり、午後1時頃教会を出て御殿場に向かいました。もちろん車です。二度目の富士登山のつもりで車で約6時間走りました。御殿場口新五合目駐車場に着いたのは午後7時半頃でした。しかし途中、御殿場に入ると雨が降り始めていたので大丈夫かなと考えながら駐車場に着くと約10台の車が停まっていました。真っ暗の中、皆は雨が止むのを待っている様子でした。しかし雨は止むことなく降り続けていました。せっかくここまで来たのに登らないのは気が済まない。少し様子を見ていたらある二人がヘッドライトをつけて登山を始めました。その時から心の葛藤が・・・登るべきか、止めるべきか・・結局、夜11時ごろ自分も支度をして雨の中を一人で登り始めました。周囲は真っ暗で、また雨と霧のせいでライトも遠くまでは照らさず足元だけを照らすことになりました。さらに延々と続く上り坂は砂道で普段の二倍以上の力と前に進むのは半分以下の程度でした。途中、目印の木が見えなくなり、上まで繋がっている綱も切れていて困った時もありました。その時には人の足跡を見て登って行きました。

しかしだんだん体力が落ちてしまい、さらに寒気も感じるようになりました。御殿場までの車の運転の疲れや休めなかったことなどが重なって本当に約20m歩いたら休まないと歩けない状態でした。結局、登り始めて約3時間の地点で山頂まで登ろうとする気持ちを抑えて諦めることにしました。場合によっては諦める勇気も必要であると気づいたひと時でした。登れなかった悔しさと無事に仙台に帰られるとの安心感が混じって複雑な気持ちでした。無事に下山して車の中で少し休み、午前4時頃仙台に向かいました。休みながら運転し、教会に着いたのは1030頃でした。これで教会員と家族に再会できることになりました。時々報道される遭難者の状況が少しは分かるようになったと思います。

今回、急に富士登山を考えたのは先週の教会学校の説教がきっかけになったからです。シナイ山で主と出会うモーセの姿を創造しながら、自分は石の板の代わりに聖書を携えて、そして教会員の名簿を持参して山頂で聖書を読み、一人一人のために祈るためでした。時には日本一高い山でそのように祈るのも良いと考えたからです。しかし祈る前に死ぬところでした。何とも言えない恥ずかしい結果となりましたが、これでやめるわけにはいきません。後日、もう一度挑戦することにしました。でも御殿場ルートは夜よりは朝の登山が良いかも知れません。今度は朝そして晴れの時に登ることにしました。

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