2022年10月18日火曜日

特別な存在として生きる

 


「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。(マタイ6:25

 


眠りから目が覚めると、まず考えるのは生きることが許されたことに対する感謝。

そして祈り、聖書、カーペットクリーナーで掃除(含ベッドメイキング)、説教準備、読書などを行う、日によって順番は異なるが必ず行う日課である。それからドリップコーヒー一杯を飲んで、ノアちゃんとの散歩に出かける。その前に現在の外の気温を確認して服装を決める。昨日まではいつも短パンだったが、今日からは長ズボンにした。外に出ると夜空を見上げて今日の散歩コースを考える。肌寒く感じる時は大年寺階段からの散歩コースが主なスタート時点となる。

 


階段を上ると体がすぐ熱くなるからだ。そこから八木山の方向か、愛宕神社と広瀬川沿いの方向になるか、それとも一度も歩いたことのない道に進むかが決まる。こうして人間は眠りから起きた時、常に、その日に行うことは何かを決めて生きる存在である。けれども何かを決めることは大事であるが、その決めたことを行うことがもっと大事である。さらに言うならば、何を決め、何を行うかによってその日の人生が大きく変わることである。もちろん平凡な人が決めて行うのは何か世界や国を動かすような大きなことではない。ごく普通の小さな営みである。しかしそれが一人の人間の生き方や人生を決めることになることなら、それは大きなことである。決して小さなことではない。普通の事でもない。それは特別なことである。


 

実は、我々人間は一人一人が特別な人生を生きている。なぜなら同じ人間はこの世にいないからである。同じ人間が100人いて毎日同じことを行うのであればそれは特別なことではなく、いつものことであり、普通のことであり、ありきたりのことであり、平凡な姿である。だがこの世界に70億以上の人々の中で自分だけのDNAをもって存在し、生きる世界での姿は特別なことになる。だから誰でも特別な存在として、特別な生き方で、特別な人生を生きなければならない。この宇宙でいくら探しても同じ人間は存在しないからである。それを教えてくれたのは天地創造の造り主であり、我々人間を創造なさった主なる神様である。だからこういう論理は信頼できるのである。今日も特別な存在として、特別な生き方で、特別な人生を生きる。今日も最後まで精一杯に生きることだ。

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