神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。(コリント二7:10)
For godly sorrow worketh repentance to
salvation not to be repented of: but the sorrow of the world worketh death.(Corinthians
7:10)
Denn göttliche Traurigkeit wirkt zur
Seligkeit eine Reue, die niemand gereut; die Traurigkeit aber der Welt wirkt
den Tod.(Korinther 7:10)
神の御心に適った悲しみとは、悔い改めへと導き、最後は救いをもたらすものである。
それに対して世の悲しみは、死をもたらすと言う。この二つの悲しみの中でどちらを選ぶべきか。しかし多くの人は死の悲しみを選んで生きている。なぜなら死ぬまで快楽にふけりそこから抜け出すことができないからだ。要は、よく考えずに欲の奴隷になり、ありのまま生きているからである。最後は恐ろしい結果になることを知らず生きているからである。どの時代にも同じことが繰り返されている。それが神様から離れた人間の歴史である。しかしこういう人間の歴史の中でもう一つの歴史が静かに流れている。神様の歴史である。救いの歴史である。愛の歴史である。十字架の歴史である。復活の歴史である。これこそ希望の歴史である。キリスト者はこの希望の歴史の中で生きている存在である。
今日もこの希望の歴史の下で精一杯に生きるべし。ハレルヤ!
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