2025年4月16日水曜日

手紙


 先日、ある教会員の方からお電話をいただきました。その方は、自身の身体の衰えにショックを受けているとのことでした。年齢を重ねるにつれて身体の機能が低下するのは自然なことですが、それを受け入れるのは簡単ではありません。そこには苦しみや葛藤が伴うものです。重要なのは、それを共有し理解し合いながら、現実を穏やかに受け入れて残りの人生をどう生きるかを考えることです。そのためにはイエス・キリストに対する信仰が必要です。この世の人生だけでなく、永遠の命があることを共に確認し、希望を持って生きることが大切です。その電話でのお話を通じて、信仰を持って最後まで共に歩むことを再確認できた貴重なひとときでした。

 その電話の後、以下の手紙を書いて送りました。


〇〇兄姉へ

 主の御名を賛美いたします。

こんにちは。お元気でお過ごしでしょうか?

 

春の訪れとともに、木々が少しずつ青葉を芽吹き始めています。季節の移ろいを感じられる日本に住むことは、大きな祝福ですね。春を楽しめるのはほんの束の間で、すぐに暑い夏がやってきますが、それでも四季のある生活には特別な恵みを感じます。暑さや寒さだけではなく、春と秋がその間に訪れ、次の季節への準備を知らせてくれる姿に心が和みます。こうした小さな自然の変化に感謝を覚えつつ過ごせたら素晴らしいですが、つい当たり前のことと捉えてしまいがちですね。

 

聖書の言葉に「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。どんな時にも感謝しなさい。」とあります。この教えは、私たちが元気よく生きるための大切な秘訣です。ただ、簡単なことではありませんよね。しかし、この言葉を心に留めて過ごすことで、自分を見つめ直すきっかけとなります。

 

最近、ふと不平不満ばかりを口にしてはいないかと思うことや、神様に祈ることを忘れ、自分の力だけで生きようとしていないかと反省することがあります。また、先のことへの不安からため息ばかりついて笑顔を忘れてしまっては、せっかくの祝福を見失ってしまいます。この聖書の言葉は、そんな時に私たち自身を振り返り、心を整える大切な導きだと感じます。

 

良いことがあれば感謝し、喜ぶのは自然なことですが、悲しみや試練の中で喜び、感謝することは簡単ではありません。それは、神様に生きる希望を置き、イエス・キリストの十字架の出来事を自分のものとして受け入れた人にだけできることです。キリスト者は「信仰によって生きる人」であり、神様から与えられる力を受け取りつつ、今を歩むことができます。この信仰によって歩み続けることで、私たちは希望を持って生きることができるのです。

 

共に祈りながら、信仰によって日々を歩んでまいりましょう。

 

兄姉の上に主の豊かな祝福がありますように。

心よりお祈りしています。

 

どうぞお体を大切にお過ごしください。


0 件のコメント:

コメントを投稿

人生のヒント

  1 【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。 2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。 3 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し 4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみ...