「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。(ヨハネの黙示録3:15)
I know thy works, that thou art neither
cold nor hot: I would thou wert cold or hot.(Revelation 3:15)
Ich weiß deine Werke, daß du weder kalt
noch warm bist. Ach, daß du kalt oder warm wärest!(Offenbarung 3:15)
中立ほど曖昧な立場はない。
右か、左か、世間ではよく聞く話である。
偏り過ぎるのも良くないと言う。だからと言って中立も良いくない。
もともと人間社会では中立は成立できない。浮彫しないだけで本当はどちらかに属しているのである。にもかかわらずどちらかにも属さず生きたいという人は多い。なぜなら関りを持つと面倒臭いと考えるからだ。自由であってほしいからだ。自由人、自分も自由人になりたい。
人から、組織から、制度からの自由ではなく、罪からの自由である。これこそ真の自由人であろう。罪の奴隷とならず、束縛されず、自由になる人。それは真理があなたがたを自由にするとイエス・キリストが言われた言葉である。
真理がカギか?ならば真理を手に入れよう。真理とは何か?ポンテオ・ピラトは言った。
イエス・キリストが真の神の御子であり、人であり、人間の罪の赦しのために天から下った救い主であることである。このイエス・キリストこそ私たちに真の自由を与えることができる方である。
今日も真理に基づいて精一杯に生きる。自由に生きる。愛しながら生きる。悔いのない今日の人生を生きるべし。
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