わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(コリント二4:18)
While we look
not at the things which are seen, but at the things which are not seen: for the
things which are seen are temporal; but the things which are not seen are
eternal.(2 CORINTHIANS 4:18)
ランニング。今日は13.3km。
帰りのランニングで朝の白鳥を見るために走るルートを変えて広瀬が沿いへ。
まだまだ元気そうだ。
この辺を歩きながらこの白鳥のことを知っている人々は家庭でも話題になっているだろう。
ハクチョウを見た人々は家でその話をして、その話を聞いた家族はそれを知り、そして本当にハクチョウが一羽残されて広瀬橋の近くにいるんだと信じているだろう。直接、見たわけではないが信じている。なぜだろうか?それを知らせてくれた一人の家族の話が真実だと信じているからだ。
しかし主イエスの復活の知らせを弟子たちは信じなかった。目撃した婦人たちの話を信じなかったのである。なぜなら彼女たちを信用しなかったからである。不思議な事だ。同じく主イエスに従っていたのに、仲間たちの間で信用しない雰囲気が作られていた。今の教会も同じかも。お互いに信用しないキリストの弟子たちがここにもいるということだ。主イエスは信じるけれども、兄弟姉妹たちは信じない。これもまた不思議なことだ。しかしこれが現実である。
目に見えない主イエスは信じて、目に見える兄弟姉妹達は信じない。いったいどうなっているのだろうか?これが罪ある世界である起こり得る自然な出来事かも・・・・少なくとも家族だけは信じて生きよう。今日も生きる。
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