2023年5月16日火曜日

罪を思い出さない主

 


わたし、このわたしは、わたし自身のために/あなたの背きの罪をぬぐい/あなたの罪を思い出さないことにする。(イザヤ書43:25

I, even I, am he that blotteth out thy transgressions for mine own sake, and will not remember thy sins.(ISAIAH 43:25)

 


お風呂に入るのは体が汚れているからである。きれいだったら別に入らなくても良い。

教会の礼拝に行くのは罪人であるためである。罪がないのなら別に行かなくても良い。

なぜならイエス・キリストが来られたのは罪人のためであるからだ。教会は清い人々が行くところではなく、罪人が行くところである。そして悔い改めて罪赦され、清い生活を送ることになる。しかしこれはこの地上で生きる限り毎回行うべきことである。だから教会は毎週礼拝がある。本当は毎週1回も足りないのだが、繰り返して悔い改め、罪赦され、主の御心に従って生きることである。神様が喜んで祝宴を開いたのは悔い改めて立ち帰った放蕩息子のためであった。悔い改めて立ち帰る者を主は喜んで迎えてくださる方である。愛の神様であるからだ。そして悔い改めた罪は二度と思い出さないという。赦しの神様であるからだ。

だから父なる神様は善い方である。

 


今朝のランニングは途中、新しいコースを走ってみた。21キロとなる。命がある限り走り続ける。生き続ける。愛し続ける。

 


久々にノアちゃんのところのマットを洗濯した。床も吹いた。疲れた。でも感謝だ。これで半年は持つ。

 

今日もそれぞれの場で神様の栄光のために勉強し、仕事をし、生きている。今日も笑って生きる。くよくよしない。希望の人生を生きる。今日も最後まで悔いのないように精一杯に生きる。ハレルヤ!

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