寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。(出エジプト記22:20)
Thou shalt
neither vex a stranger, nor oppress him: for ye were strangers in the land of
Egypt.(EXODUS 22:21)
人は環境と状況と立場が変わり、改善され、良くなるとこれまでの自分の姿を忘れてしまう傾向がある。仮に忘れなくても自分の過去を覚えて愛の手を差し出すことは安易ではない。もちろん過去の自分のことを思い、人を顧み、助ける人もいるが、そう多くはない。
今日の聖書は神様が命じた言葉である。イスラエルの民にとって神様の言葉は絶対である。
守らねばならない第一の規定である。にも拘らず今のイスラエルの民はパレスティナの人々を虐待し、居住地から追い出し、武力で占領しようとする。エジプトで奴隷として、寄留者として過ごしたことを忘れたためである。忘れてはならないことを、神様が繰り返して覚え続けるように命じたにもかかわらず辛い過去は忘れ、覚えようとしない。人間の本質である。
最近、渡り鳥の到来が話題になっている。時は必ず廻って来る。良いことだ。しかし廻って来ない時もある。あの頃、幸せだった家族の時である。また友情も、笑って過ごした時は来なくなり、身体も心も弱って頑張って生きる力も、希望も無くなり、ただ一日一日を生きるのが背一杯であると考える人々は少なくない。楽しい事もなければ、怒ることもない。ただ生きるだけ、と言う人もいる。どう生きようと時は流れて行き、皆は同じところに向かって行く。「死」。人間の終着駅は「死駅」である。大統領も、ホームレスも、健康な人も、病気の人も、有名人も、一般人も、上司も部下も、ひとりも例外なく、全員が最後に下りるのは「死駅」である。しかし・・・・・
キリスト者の終着駅は「死駅」ではなく、「命の駅」と言われる天の御国である。この地上でイエス・キリストを信じる信仰によって与えられた真の命がその「命の駅」で下りて天の御国へと入られる切符となる。これがあるのでどんなに苦しくてもキリストから離れず最後まで信仰を守り続けるのである。これ以上に大切なことは存在しない。マラナタ!!!
変わらない日々のルーティンが自分を支える力になる。目が覚めると祈り、聖書を読み、ノアちゃんと散歩をし、23キロのランニングをし、掃除をし、娘を送り、説教などの礼拝の準備をし、料理もして過ごす日々である。特別なことはないが、これが自分の人生である。一年一回、二週間のサンティアゴ祈りの旅も加えればありがたい人生であると自分は思う。今年も出かけることに・・・・その後5回行けば12回目になる。サンティアゴは卒業する予定である。別のところが決まっている。いつまで出かけるかは分からないが、自分の足でちゃんと歩ける限り、行けるでしょう。感謝
3月から広瀬川のハクチョウを観察しているのでその様子を知り合いに写真と手紙を添えて送ることも大事な仕事である。それを見て、読んで元気が出ると言われる。共に支え合いながら生きる群れである。
今日は0時32分に起床。目が覚めるとまず新しい命が与えられたことに感謝する。そして生きる事を考える。でもただ食べて飲んで生きる事ではない。それは考えなくても本能的に出来る事である。ちゃんと生きることを、楽しく生きる事を、幸せな一日を造るための工夫をする。この最初のボタンが順序正しく、しっかり止めることが重要である。今日も生きよう!!!歩こう!!!祈ろう!!!
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