2024年1月15日月曜日

仕方ない人生

 


戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。 そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。 そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」・・・・・・・はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイによる福音書24章)

 


この地球上で戦争のなかった時代はあっただろうか?戦いがなかった時はあっただろうか?戦争と争いは止まず、人を殺す行為は止むことなく続いている。繰り返している戦いの中で人はそれでも生きている。先日、ガザで結婚式を挙げた家族が話題になった。戦場の最中で結婚式?しかし彼らは言う。どんな場合でも与えられた命はつないでいくことが大事である、と。生きることである。

 


人類の歴史はこの戦い抜きにしては語ることができないほど数多い戦争と戦いで飾られている。しかし、その中でも人々は生きて来た。厳しい生死の状況を貫いて生き残り、生命をつないだのである。だから生きることである。生きるならば精一杯に生きることである。精一杯に生きるならば意味のある人生を送るべきである。無意味な人生を精一杯に生きる必要はない。だから、生き甲斐のある人生を送ることである。自分の人生を誰かが代わりに生きることはできない。仮に親でもできない。自分の人生は自分で生きるしかない。だから自分の人生を人のせいにしてはいけないのである。自分の人生は自分で生きるべし。

 


今日のランニングコースは少し変えて新しいコースを見つけた。これまで教会から太白小学校を通り、太白山第二橋まで走って折り返して走ってきたけど、その第二橋を渡ってそのまま太白山の方へ続く道を発見。今日はそのまま山道を走って行った。急な坂道だったけど気持ちは最高だった。つながる道を走ると太白山登山の入り口の駐車場に出たのである。山頂までは時間の関係で行けなかったけど今度走って行くことにした。今日は風が強かった。今日のランニングは25キロ。

 


帰宅して一休み。それからまた仙台朝市へ。大年寺山公園から愛宕神社ルートで朝市へ。買い物して重くなった荷物を背負って帰宅。なぜこんなにハードな生き方をしているのか?自分でもわからない。おそらく死なないかぎりこういう生活は終わらないでしょう。だから年一度のサンティアゴ祈りの旅は自分にとって自由と心がリラックスできるひと時である。今年もサンティアゴ祈りの旅は続く。しかし今日は本当に疲れた。家族はこういう自分を見て笑っているけど・・・・とにかく今日も最後まで生きよう!

 

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