2024年1月6日土曜日

格好良く生きよう

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(テモテへの手紙二3:16

 


正しい者は七たび倒れても、また起きあがる、しかし、悪しき者は災によって滅びる。(箴言24:16

 

現代社会において人の人生を定義する言葉がある。成功と失敗。成功した人生と失敗した人生である。

けれども問題は、その基準が曖昧であるとのこと。なぜなら人によって成功と失敗の基準が異なるからだ。人々が考えている主な基準は財産、社会的な身分、社会に対する影響力、健康、長寿、家族・・・・

これらの曖昧な基準が人の人生を評価するために使われている自体が大きな問題だが、もっと大きな問題はこれらの曖昧な基準を人々が受け入れて生きていることである。これらの間違った基準と現象は

これからも続くだろう。目覚めよう!!!違うと言う人が多ければ多くほどこの社会は良くなるはず。

 


 朝、目が覚めて与えられた今日の人生を生きる。人々のために祈って、聖書を読んで、食べて、歩いて、買物をして、料理をして、掃除をして、犬の散歩をし、短くても家族との会話があり、本を読み、説教準備をし、再び食べて、おやつも食べて生きている。特別なことは何一つない。しかしこれが人生である。これが生きることである。これらのことは自分が死ぬまで続ける日課である。自分の人生を自分が生きているのに誰が文句を言うだろうか?今の環境の中で自分の人生を精一杯に生きることが大事である。これ以上、欲張ることもなければ、欲しい物も事もない。今に感謝して生きることである。

 

 時には失敗しても良かろう。再び立ち上がればよい。命がある限り、人は希望を持つことが出来る。そして挑戦することが出来る。苦しみも受け止めよう。その内、強くなるからだ。泣いても良い、笑える時が必ず訪れるからだ。傷は必ず治るからだ。治るまでの時間も我慢し、忍耐しよう。もっと強くなるからだ。そしてそれらの経験を生かして周りで苦しみ、泣いている人々を助けよう。それで幸せが訪れる。これらのことは生きているからこそ体験できる大事なことである。生きることだ。生きることだけを考えよう。死は考えなくてもいつか必ず訪れるからだ。しかし生きることは考えなければならない。正しく生きることが出来ない。どうせ生きるならば格好よく(?)生きることにしよう。嘘をつかず、周りの人々を傷つけず、迷惑もかけず、不義を憎み、正義を愛し、親切にし、時には人々を助けて生きることが格好良く生きることである。生きよう!!! 

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