2024年最後の主の日を迎えて
今日は、2024年最後の主の日の礼拝を無事に終えることができ、心から感謝しています。
礼拝後、教会の外に飾られていたクリスマスツリーを、教会員のお二人が一生懸命片付けてくださいました。その姿に深く感謝し、主の愛を感じるひとときでした。
年末の我が家は特別なこともなく、静かに過ぎていきます。
子どもは年末年始もアルバイトに励み、頑張っています。
私はといえば、変わらずランニングに時間を費やし、20~40キロの距離を走る日々。さらに、エッセイ集やコラム集の執筆に取り組みつつ、何よりも大切な教会の働きに励んでいます。唯一の「休息」といえるのは、年に一度の三週間のサンティアゴ巡礼の旅。それ以外の時間は、ほとんど仕事に費やしています。おそらく、この働きは死ぬまで続けることになるでしょう。しかし、それもまた感謝して受け入れるべき使命だと感じています。
命の重みと生きる意味
年末年始には、どうか大きな事故や事件が起こらないようにと祈っていましたが、韓国での飛行機事故のニュースが飛び込んできました。この地球上では、今も誰かが生まれ、誰かが命を終えています。命はこうして受け継がれていきますが、私たちにとって本当に大切なのは、「どのように生きるべきか」を知り、それを実践することではないでしょうか。
しかし、その「生き方」を学ぶ場は学校ではありません。真の生き方を教える教師は、親であるべきです。親は、言葉だけでなく、自らの生き方や日々の態度、姿勢を通して子どもに教えなければなりません。それは、世界で最も重い責任を伴う教師の役割です。もし親がその役割を果たすことができれば、子どもは本当に幸せな人生を歩むことができるでしょう。
親は誰よりも子どもの幸せを願っています。しかし、その願いが、自分の日々の悪い態度や姿勢によって壊されてしまうことに気づかないこともあります。ここで大切なのは、「正しい生き方」を諦めないことです。たとえ昨日、子どもにみっともない姿を見せてしまったとしても、今日から態度を改めれば良いのです。
昨日の鎖を断ち切り、前へ進む
悪魔はいつも、私たちを昨日の失敗に縛りつけようとします。過去の心配や後悔に目を向けさせ、昨日の失敗を今日まで引きずらせようとするのです。その策略に負けてしまうと、私たちは前に進むことができません。だからこそ、昨日の鎖を断ち切り、前進することが必要です。主は、前に進もうとする者を必ず助けてくださいます。
「兄弟たちよ、私は自分がすでにそれを得たとは思っていません。ただ、この一事をしています。すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばしつつ、神がキリスト・イエスにおいて上に召してくださるという賞を得るために、目標を目ざしてひたすら走っているのです。」(フィリピ人への手紙 3:13-14)
2025年には、嫌な思いや感情を持ち越さず、それらを燃やして灰にし、空に飛ばしてしまいましょう。キリスト教では、イエス・キリストの助けを受けて心から悔い改めることを大切にしています。主は、心からの悔い改めを快く受け入れ、新たな心を与えてくださるお方です。
信じて実行する者こそが、真の勝者となるのです。
新しい年を迎えるにあたり、主の導きと祝福が皆さんの上に豊かにありますように。
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