帯状疱疹と診断されてから一週間。体調が少しずつ回復に向かい、心にも余裕が出てきたことを実感しながら、今日はランニングで荒浜海岸を訪れました。往復42.57キロ。久しぶりに海岸のさわやかな空気を吸いながら、土曜日ならではの穏やかな風景を楽しむ時間となりました。
海岸では、釣りをする人たち、波に乗るサーファーたち、犬の散歩やランニングを楽しむ人々に出会いました。遠くでは野球の試合を準備している人たちもいて、海岸の静けさの中に人の活気が溶け込んでいました。さらに、バードウォッチングを楽しむ年配の方々もいらっしゃり、自然の中で過ごす優雅なひとときを垣間見ました。こんなにも日常が溢れる風景の中に身を置けることが、今日の自分にとって特別な喜びでした。
朝の気候は寒すぎることもなく、暑すぎることもなく、ランニングをするには最高のコンディションでした。帯状疱疹に伴う一週間分の治療薬は昨日で終わり、これからは薬に頼らず、自分の力で体を休め、栄養をしっかり取りながら治す方向に切り替えました。そうした変化の中で、心の中には新しい希望が生まれていることを感じます。
ランニング途中では、残り少ない白鳥たちの姿を目にしました。冬が終わる頃に白鳥が旅立つように、季節の移ろいを感じざるを得ません。白鳥の姿を見ながら「時が過ぎ去る」ということについて改めて考えさせられました。どんな出来事や苦しみも、時と共に必ず過ぎ去る。新しい出会いや変化を迎える準備の時間でもあるのだと思います。
今、目下の悩みは花粉との闘いです。春の季節が過ぎ去る頃には、この辛さも消えていくことを知りながら、粘り強く過ごす日々。しかし先が見える苦しみは耐えられますが、見えにくいもの、終わりがわからないものは、時に私たちを絶望に追い込むことがあります。
そこから教訓として得た考えは、聖書の教えです。聖書は「終わりのない苦しみはない」と教えています。そして、その苦しみがどこから来たのかを知ることも重要だと解いています。戦争や災害といった特別な出来事を除けば、多くの苦しみや痛みは、自分自身の行動や選択が招いた結果だとする視点。一見厳しく思えるこの指摘ですが、聖書は「あなたが自力で何とかせよ」とただ厳しく突き放すわけではありません。「主なる神様に助けを求めなさい」と進言するのです。その助けを求めれば、救いがある。これが聖書のメッセージです。
ただ、この事実を知る人は多くはありません。そして、それを知りながら行動に移す人はさらに少ない。この現実は少し寂しくもあります。しかし、私は心の支えとしてこの教えを知っていることに、感謝の気持ちを持っています。
荒浜海岸でのランニングを通して改めて感じたのは、自然の美しさや人々と風景の調和だけではありません。苦しみを経験したからこそ、時の移ろいや新しい希望に心を開くことができるということ。そして、苦しみに向き合う時に聖書の教えがどれほど励みになるかを静かに考える一日となりました。
人生は移り変わる。自然も、人の営みも、苦しみも。そしてその先には必ず穏やかな光があるということを、改めて感じながら今日の人生を生きています。
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