2025年4月14日月曜日

日課

 


降り続く雨のように、私たちの世界には、なかなか止まない悲しみや不安があります。

遠い国の戦争のニュースが日々流れ、身近なところでも争いごとが絶えません。

誰もが、大なり小なり、苦しみや痛みを抱えながら、この時代を生きています。

 


それでも、私たちは生きていかなければなりません。

いや、こんな時代だからこそ、顔を上げて、生きていく意味を見つけたい。

愛する家族のために、未来を担う子どもたちのために、そして、かけがえのない自分自身の

ために。

 


日々のニュースを見れば、物価は上がり続け、私たちの暮らしは厳しさを増すばかりです。

国と国との対立は、経済にも影を落とし、多くの企業や働く人々が苦しい声を上げていま

す。

 


日本でも、遠い国でも、予期せぬ事故の知らせが心を痛めます。

ヘリコプターや飛行機の墜落事故、突然の自然災害…

ほんの十分先、一瞬先の未来さえ、私たち人間には分からないのだと、改めて思い知らされ

ます。

「まさか自分が…」そんな悪夢のような出来事が、誰の身にも起こりうる。

(雷に打たれた方のニュース、本当に驚きました。一日も早い回復を心から祈っていま

す。)

このように、今の世の中は、どこか落ち着かず、先の見えない不安が漂っているように感じ

られます。

 

一方で、こうした世の中の喧騒とは少し距離を置いて、穏やかに、平和な毎日を送っている

人々もいます。それはそれで尊く、守られるべき時間です。

 

私たちは、つい目の前のことで頭がいっぱいになりがちです。

世界の貧困や飢餓を憂うよりも、今日の夕食の献立に悩む。

遠い国の戦争の行方よりも、我が子の友達との喧嘩を心配する。

地球規模の大きな問題よりも、家庭内の小さな揉め事に心を砕く。

それは、私たちがそれぞれの場所で、懸命に「今」を生きている証拠なのかもしれません。

誰もが、自分の置かれた環境や状況の中で、必死に、ただひたすらに生きようとしていま

す。

 

でも、時に立ち止まって、考えてみませんか。

私たちは、いったい何のために、この命を使い、日々を生きているのでしょうか?

いったい誰のために、喜び、悲しみ、汗を流しているのでしょうか?

 

この、シンプルで、しかしとても大切な問いに、自分なりの「芯」となる答えを持つことが

できたなら、人はどんな困難な状況にあっても、きっと強く、しなやかに立っていられるの

ではないでしょうか。答えはすぐに見つからなくても、問い続けること自体に、大きな意味

があるのだと思います。

 

雨はいつか止み、雲の間から光が差すように。

どんなに苦しい状況も、永遠には続きません。

 

大切なのは、今、こうして「生きている」という、かけがえのない事実。

この胸に温かい鼓動がある限り、私たちは希望の種を蒔き、ささやかな勇気を育てることが

できます。

 

だから、今日という一日を、大切に、精一杯生きていきましょう。

うつむきそうな時も、ほんの少し顔を上げて。

夜明けの来ない夜はないと、信じて。

 


本日の日課。

いつものように2時起床。祈りと仕事、ノアちゃんの散歩。今日はランニング休み。

エッセイを書く。(2年間の作業として進行中)

朝からキャロットパウンドケーキを作った。

雨なので子どもを駅まで送り、お風呂場へ。

帰りにベニマルで買い物。

帰宅して、また仕事。

昼頃、妻をバイト先まで送り、帰りにまた買い物。

帰宅して大根のポリポリ漬け、人参炒め、ほうれん草茹で、たくあんを切ってタッパーに、

それから

最後は夕食のための鶏むね肉の料理を作った。感謝。

6回の朝ランを実施中。走るときには皆のために祈る大切な時である。

11月のサンティアゴ祈りの旅も少しずつ準備中。4月にはいつものように宿泊施設と飛行機は

予約済。

自分は年3週間の祈りの旅のために残りの日々を精一杯に生きているかも・・・これも良し!

今回は救急車には乗らないように・・・

 

 

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