1【ミクタム。ダビデの詩。】神よ、守ってください/あなたを避けどころとするわたしを。2主に申します。「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」3この地の聖なる人々/わたしの愛する尊い人々に申します。4「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず/彼らの神の名を唇に上らせません。」5主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。6測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。・・・・・・(詩編16編)
詩編16編は神への信頼と希望の歌です。不確実性と不安に満ちた現代社会において、この詩は私たちに揺るぎない安息所を示しています。「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。」という言葉は、物質的豊かさではなく、神との関係こそが真の幸福の源であることを教えます。デジタル依存やストレスで疲れた心に、この詩は「喜びに満ちた道」を思い出させてくれます。未来への不安を抱える現代人に、詩編16編は「あなたは私を見捨てない」という確信と、生きる希望の道筋を照らしています。永遠の価値を見つめ直す機会を与えてくれる詩なのです。
昨日は教会員の皆さんに誘われて、駅前のレストランでランチを楽しみました。広々とした落ち着いた部屋で、6人の方々とともに食事をしながら懇談の時を持てたことに感謝しています。昔の長町幼稚園の教師たちが中心となり、昔話に花が咲き、M姉の話も出て懐かしさに包まれたひと時でした。集まった方々は皆さん80歳を過ぎて人生の終盤を過ごされていますが、そこには希望と喜びが満ちていました。それこそがキリスト者の集いの素晴らしさなのでしょう。日々の生活は大変であっても、祈り合い、共に歩む信仰の仲間がいることは何よりの支えです。もし許されるなら、人生の最後の時を教会で見送ってあげたいという願いがありますが、自分がいつまでその場にいられるかわからないので保証はできません……ただ、主の御心のままにと祈り続けています。
今日は久しぶりに懐かしい道を走りました。八木山にある朝鮮学校の脇道を通り、みやぎ霊園に向かう近道を進みました。以前はがけ崩れで通行止めになっていましたが、工事が完了したようで、約5年間、月1回はみやぎ霊園教会墓地の清掃の時に必ず通っていた道で、昔を思い出しながら走り続けました。金剛沢治山の森を通り、成田山方面へ進むと青葉の森緑地に出て、初めて中を走りました。この道はトレランのコースのように、凸凹とアップダウンが激しく、トレーニングには最適だと感じました。さらに三居沢、広瀬川沿いを走り、東西線川内駅を経て東北大学内へ。そして八木山動物公園、東北工業大学、水戸整形外科を通り、教会に到着しました。距離は21キロと大したことはありませんが、山道はきつかったです。無事に帰ることができたことに感謝しています。これで五日連続の朝ランです。とりあえず明日も走ることにし、週6日のランニング生活を続けるつもりです。夏場は厳しいですが、頑張ろうと思います!
午後は妻をバイト先まで送り、その後買い物へ。夕食のメニューは既に決めていたので、必要な材料を購入しました。そして、毎日祈っている姉妹からいただいたおいしいコーヒー粉、このコーヒーに使うと良いと言われた特別なお水、さらにはチョコまで。本当に嬉しい贈り物で、心から感謝しています。日々の生活には特別なことは少ないものの、こうした喜びが人生の潤滑油となり、日々を支えてくれます。だからこそ、今日も皆さんと共に感謝して生きようと思います。
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