2025年6月24日(火曜日)の朝も、ハクチョウはいつもの場所にいました。その姿を見ながら走り過ぎる一瞬、「この子がいつかいなくなったら、ここに銅像を建ててあげたいな」なんてことを思います。川沿いを歩く人々に、この一羽がどれほどの励ましと安らぎを与えてくれていることか。厳しい夏を越すのは、今年で二度目でしょうか。自分なりに生き抜こうと奮闘しているように見えます。正直に言えば、私はこの子について何一つわかっていません。わかっているようなフリをしているだけなのかもしれません。オスなのかメスなのか、何歳なのか、どこで生まれ、なぜ一羽だけになり、なぜ北へ帰らなかったのか…。でも、そんな情報は分からなくても、何の問題もないのです。ただ、ありのままの今の姿、そして、これまで生きてきたその姿だけで十分。神様に造られた同じ命として、今日という一日を精一杯に生きること。それが何より尊いからです。
「一羽で、寂しくないのだろうか?」
そう思うこともありますが、きっとそれも余計なお世話なのでしょう。この子にとっての「今日」は、神様から与えられた新しい一日であり、新しい世界であり、新しい出会いに満ちているはず。だから、私たちはそっと見守り、過度に干渉せず、ただ共に歩んでいく。それぞれの生きる道を、そのまま認め合うことが大切なのです。そして、たった一つだけ。これだけは心に留めて生きていきたい、と思うことがあります。人にも、このハクチョウにも、それぞれの人生があり、それぞれの生き方がある。しかし、その全ての命にとって最も大切なのは、命の創り主である神に頼り、イエス・キリストによって与えられる、新しい人生を歩むことだということです。
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