疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11章28-30節)
人生の荷について
人はこの世に生まれると、背負うべき荷があるようだ。問題は、その荷を自分が背負えるかどうかである。必ず負わなければならないのなら軽い荷がいい、と考える。しかし、自分一人では背負いきれない重荷もある。これも運命なのだろうか……。キリスト者は運命を信じないというが。
思考と創作について
毎日、自分の頭で思考し、物語を書き記している。これは良いトレーニングになる。AIばかりに頼らず、自分の頭で考えて物事を判断し、実行していくことが大切だ。
休息への願い
ゆっくり休みたいと思う時がある。毎日の日課が忙しいからではない。毎日のようにロングランをしているからでもない。自分の今の立場や、いる場所のせいかもしれないと考えてみるが、答えは見つからない。それでも、ゆっくりと休みたいと思う。
今という実在
自分は今、ここにいる。これが実在だ。そして今日も生きている。とりあえず11月を楽しみにしながら、頑張って生きよう。今を大事にして生きることが何より重要だ。
日常の喜び
今朝は卵チャーハン、ランチは焼き豚料理を作った。最近は人参ラペをよく作って食べている。楽しく作って、美味しく食べることも人生の良いことの一つだ。
移動への想い
今思えば、一か所に長くとどまるのが苦手かもしれない。高校の時から家を離れて暮らしているためかもしれない。仙台前の町での9年間が一番長かったかも……。9年が自分の限界なのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿