今日は、走らないことを選んだ。
いつもの朝、ランニングシューズの紐を結ぶ代わりに、私は静けさを選んだ。それは「休みたい」という怠惰な囁きに負けたのではない。「休むべきだ」と叫ぶ、体からの真摯な要請に耳を傾けることに成功したのだ。
走り続ける力も、重い体を叩き起こす力も、確かに一つの強さだ。しかし、猛進しようとする自分を、内なる声を聞き届けて「待った」をかける力。それはもっと繊細で、もっと難しい、真の自己コントロールなのかもしれない。今日の私は、その静かな強さを手にした。体との対話に成功した朝だった。
体の声に耳を澄ませた一日は、自然と、心と体の喜ぶものを求める時間へと続いていった。
キッチンに立ち、私は鮮やかなオレンジ色の人参を刻んでラペを作る。ひんやりと喉を潤す、きゅうりとわかめの冷たいスープ。そして、食欲をそそる香りと音を立てて揚がっていく、いつもの韓国風フライドチキン。一つひとつに手をかける時間は、単なる作業ではなく、自分自身をもてなし、慈しむための儀式だ。
そして、その食事がもたらしてくれた満腹感は、昨日までの「とりあえず」とは全く違う質を持っていた。
ただ胃が満たされるだけの満腹は、時に虚しさを伴う。しかし、心から美味しいと感じる食事は、味覚の喜びが脳の深い部分を震わせ、生理的な満足感がホルモンとなって全身を駆け巡り、幸福という名の衣でそっと心を包み込んでくれる。それは、栄養補給という行為を超えた、総合的な「生の充実感」そのものだ。休むことを選んだ体が、今度は最高の栄養と喜びで満たされていく。この循環こそが、健やかさということなのだろう。
満ち足りた心で窓の外を眺めながら、ふと、曜日と色のことを思った。
今日の木曜日は、惑星ならジュピター、色で言えば黄色。輝きと豊かさの色だ。月曜の銀、火曜の赤、水曜の緑。私たちは、古代の人々が宇宙に見出したリズムの中で、知らず知らずのうちに生きている。そう思うと、日々の営みが壮大な物語の1ページのように思えてくる。
走らないことを選んだ朝。
心を満たす食事を作った昼。
世界の色彩に思いを馳せた夜。
それぞれは点のような出来事だったかもしれない。けれど、それらは「自分自身と世界に、丁寧に耳を傾ける」という一本の線で、確かに結ばれていた。そうして、私の特別で、何でもない、素敵な一日が静かに終わっていく。
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