異例の朝ランが教えてくれた、心の羅針盤



異例の朝ランが教えてくれた、心の羅針盤

今朝は、いつもと少し違う朝を迎えました。昨夜の出来事(電車での人身事故と娘との対話)があったせいか、心持ちゆっくりと、朝のルーティンをスタート。そして、珍しく午前8時頃からのランニング。完全に日が昇ってからのランニングは、いったい何ヶ月ぶりだろう。清々しい秋の空気の中を走るのは、これもまた悪くない、むしろこの季節には心地よいのかもしれない。そう思いながらも、やはり僕の中には「夜明けのランナー」としてのこだわりが強く残っています。暗闇を切り開きながら走るあの独特のワクワク感。夜が明けていく壮大な光景を全身で感じながら朝を迎える喜び。それは、他の何物にも代えがたいものです。

 


幹線道路を走っていると、多くの車、自転車、人々が、それぞれの目的地へと急ぐ姿が目に映ります。彼らは何を期待し、何を望んで、その一歩を踏み出しているのだろうか。

きっと、その足取りは様々でしょう。新しい一日への期待に胸を膨ませ、軽やかに進む人もいれば、重い足取りで、仕方なく目的地へと向かう人もいるはずです。楽しいことを心待ちにしている人もいれば、嫌だけど耐え忍ぶしかないと、苦悩を抱えながら向かう人もいるだろう。あるいは、「仕事の時間だけ我慢すればいい」と、割り切って考える人もいるかもしれません。もし、その向かう先に笑顔がなく、楽しみもなく、希望もないのだとしたらそれはまさに「地獄」と呼べるかもしれません。

僕の心に、一つの問いが浮かび上がりました。

どうすれば、この「地獄」を「天国」に変えることができるのだろう?
そして、その変革を、誰が成し遂げるというのだろう?

考えれば考えるほど、答えはいつも同じ場所へとたどり着きます。
それは、「自分自身」。この地獄を天国へと変えるためのカギは、他でもない、この僕自身が持っているのだと。私たちはつい、周りの環境や、置かれている状況のせいにしがちです。「あの人が悪い」「この状況が変われば」と、外側に解決策を求めます。
しかし、深く内省すればするほど、真の問題が、自分の一番近く、この自分の「心」にあることに気づかされます。

 


では、自分の心にその「鍵」があるとして、私たちはどうすればその鍵を使いこなし、閉ざされた地獄の扉を開け、希望に満ちた天国へと変えることができるのでしょうか?

それは、単なる精神論やポジティブ思考だけでは難しいかもしれません。なぜなら、私たちの心の奥底には、自分ではどうしようもできない深い闇や、拭い去れない不安、そして限界があるからです。ここで、真に必要となるのが、私たちが本来持つべき羅針盤、すなわち**「真の信仰」**です。真の信仰とは、自分自身の力だけではどうにもならないことを知り、しかしその上で絶望するのではなく、私たちを創造し、この世界を統べる「創造主」なる神へと、すべての信頼を置く生き方です。私たちは、神によって造られた存在です。私たちの命には、神からの明確な目的と、変わらぬ愛が注がれています。その神との関係を深く結び直すとき、私たちは「自分には鍵がある」という認識のさらにその奥にある真実に出会います。それは、その鍵を正しく使うための「知恵」と「力」を、神が与えてくださるということです。「暗闇を切り開きながら走るワクワク感」を僕は愛します。それは、まるで人生の闇路を、神の光を頼りに一歩ずつ進むことのようです。道が見えなくても、夜明けが来ると信じて進む。その信仰こそが、私たちに尽きることのない希望と、前に進む勇気を与えてくれるのです。

 


私たち信仰者は、自分の足が重くても、心が沈んでいても、創造主なる神が常に私たちと共にいてくださることを知っています。神は、私たちの苦しみを無駄にはなさらないお方です。地獄のような状況の中にも、必ず神の恵みと、意味を見出すことができる。それが、真の信仰が与える希望です。

 


帰りの道すがら、広瀬川を見ると、これまでは二羽だったハクチョウが、一羽増えて三羽になっていました。どこからやってきたのだろう、と少し思索にふけながら帰宅。この小さな発見にも、神の創造の美しさと、生命の営みへの感謝を感じます。

今日は軽く23キロを完走。この体力が与えられていることにも、心から感謝です。

地獄を天国に変える鍵は、確かにあなたの心の中にあります。
しかし、その鍵を動かす力、そしてその先に広がる光り輝く道を示す羅針盤は、創造主なる神との真の信仰の中にこそ見出されるのです。

 

あなたが今、どんな足取りで目的地へ向かっているとしても、どうかこの真実を忘れないでください。「あなたは一人ではない。神はあなたを愛し、あなたに希望と勇気と生きる力を与えてくださる。」この信仰こそが、私たちの人生を、どんな状況の中にあっても、祝福に満ちた天国へと変える唯一の「薬」なのです。今日という一日が、あなたが真の信仰を見出し、生きる喜びを再発見する、素晴らしい日となりますように。 

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