🌅 早朝のキッチンと広瀬川の白鳥たち
〜祈りと学びの朝に〜
まだ夜の名残が空に残る、静かな早朝。 5時前、娘のお弁当の一品をこしらえてから、ランニングシューズの紐を結びました。
外はまだ暗く、空気はひんやりと澄んでいて、まるで一日の始まりを告げる祈りのよう。
5時半、走り出すと、自然と脚は西公園方面へと向かっていました。 久しぶりに尚絅学院中高の周辺を走り、懐かしい景色に心が和みます。
帰り道、広瀬川沿いに差しかかると、ふと水辺に目が留まりました。 そこには、なんと約30羽のハクチョウたちが静かに羽を休めていたのです。
思わず数えてしまいました。たぶん、そんなことをする人はあまりいないでしょうね。 でも、私は数えてしまう。
🦵 膝の痛みと、祈りの旅の余韻
最後の2キロあたりから、膝に少し痛みが出てきました。 実はこれ、毎年「祈りの旅」から帰ってきた後に走ると、決まって感じる痛みなんです。
体がまだ旅の疲れを覚えているのでしょうか。 明日は無理せず、休むことにしました。 経験上、一週間ほどで回復すると分かっているので、焦らず、時を待ちます。
「待つ」というのは、信仰の中でも大切な姿勢ですね。 神様の時が満ちるのを信じて、静かに、でも確かに、前を向いて歩んでいきたいと思います。
🎄 クリスマス・コンサートと「学び続ける心」
さて、もう一つの嬉しい知らせ。 ようやく、クリスマス・コンサートのプログラムが印刷所から発送されたとの連絡がありました。
実は、プログラムを作るよりも大変なのが、印刷会社とのやり取りなんです。 微妙なレイアウトのズレや、思わぬ不備の指摘…。 「いっそ自分で印刷した方が早いのでは?」と思ったこともあります。
でも、これもまた学びの機会。 「自分にはできない」と決めつけるのではなく、 「やってみたい」「学んでみたい」と思う心は、心と体の健康にもつながると感じています。
失敗してもいい。そこから何かを得られるなら、それは祝福された経験です。
🌍 混沌の中で、どう生きるか
それにしても、世界は相変わらず混沌としています。 戦争は終わらず、国と国との対立も続いています。 報復の言葉が飛び交い、政治家の一言で多くの人々が苦しみに巻き込まれていく。
力のない者が押しつぶされ、力ある者だけが生き残るような、そんな時代です。
それでも、私たちは生きなければなりません。 なぜなら、この命は神様から与えられたものだからです。
だからこそ、私は毎日、自分に問いかけます。
「今日、私はどう生きるべきか?」 「神様の前で、正しく、清く、誠実に生きているだろうか?」
🕊️ おわりに
朝のランニングも、印刷のやり取りも、世界のニュースも、 すべては「生きる」という一つの線でつながっています。 そしてその線の先には、神様の御手があると信じています。
今日もまた、与えられた一日を、感謝とともに走り出しましょう。 たとえ膝が痛くても、心は前を向いています。 神様がともにいてくださるから、大丈夫。
私たちは、希望をもって生きることができるのです。
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