夜空の星に願いを、そして心に灯る希望の光
祈りの旅から帰国してまだ3日、時差ぼけが織りなす時間の歪みは、体が馴染むまでの「待つ時間」という恵みかもしれません。焦らずに、ただその時を待つこと。
私たちは皆、それぞれの速度でこの人生を歩んでいます。待つことに慣れた人は、その時間を宝物のように使います。目的は待つこと自体ではなく、その間にも心の泉を潤し、次のステップへの準備をするのです。一方、焦りがちな人にとっては、ほんの数秒でさえ永遠のように感じられるかもしれません。しかし、どちらの生き方も、この「時間」という贈り物をどう使うかにかかっています。私たちは、置かれた状況の中で、どのように心を整え、時を活かすことができるでしょうか。
今朝、娘を駅へ、妻をバイト先へ送り届けながら、私はせわしなく行き交う人々の姿を目にしました。誰もがそれぞれの目的地へと急ぎ、共通して「時間に追われている」ように見えます。定刻に始まる学校や仕事、締め切りに間に合わせるための日々。私たち人間は不思議なもので、その「時間に追われる」という緊張感の中でこそ、学びを深め、仕事を成し遂げていくものです。締め切りは、私たちの背中を押し、新しい創造へと駆り立てる重要な要素。それは時に私たちの弱さを示すようでもありますが、同時に、私たちを前へ、前へと動かし続ける力でもあります。
しかし、この奔走する日々の真ん中で、私たちは大切な問いにぶつかります。時間に追われながらも、どうすれば心に余裕を持てるのか?これは矛盾でしょうか?決してそうではありません。不可能でもないのです。
【時間の中に見出す「心の聖域」】
時間に追われる日々の中で「心の余裕」を持つことは、まるで嵐の中の静けさを見つけるようなものかもしれません。しかし、それは決して夢物語ではなく、日々の小さな選択と意識の積み重ねによって築かれます。
「微かな感謝の呼吸」の習慣: 一日の始まりや、タスクとタスクの間のほんの数秒で良いのです。深く息を吸い込み、吐き出すたびに、今この瞬間に与えられている恵みや、自分が成し遂げた小さなことへの感謝を心に唱えてみてください。この「微かな感謝の呼吸」は、まるで魂のスイッチを切り替えるように、瞬時にあなたを時間の流れから解放し、心の中心に穏やかな聖域を創り出します。
「目的の光」を灯す: あなたの仕事や日々のタスクが、単なる作業ではなく、誰かの笑顔や喜び、未来への貢献へと繋がっていることを意識してください。一つ一つの行動に「目的の光」を灯すことで、外から押し寄せる時間という圧力は、内から湧き上がる使命感へと変わります。追われるのではなく、自ら進む力となるのです。
「信仰の錨」を下ろす: 忙しさの中で心がざわつく時、信頼できる存在、信仰の源へと意識を向けてみましょう。神の御手の中にすべてを委ねる時、私たちの心には深い平安が訪れます。自分の力だけではどうにもならないことも、大いなる存在が導いてくださると信じる時、肩の荷が下り、心が軽くなるのを感じるでしょう。この信仰こそが、どんな時も心の余裕を保つ、最も強固な錨となります。
心の余裕とは、時間の量ではなく、心の質の問題です。忙しいからこそ、意識的に心を整え、内なる平安を見出す努力が、私たちを真に豊かな人生へと導きます。
そして、祈りの旅からの帰還と共に、約11か月にわたる家族との新しいルーティンが始まりました。ロピアで夕食のメニューを考え、買い物をし、帰宅しては仕事に向かい、夕食を用意する日々。これは、来年の10月までの私が選んだ、感謝と奉仕の道です。
今、目の前には大きな課題が横たわっていますが、これもまた、我が家に与えられた恵みとして受け止めています。家族にとって「最大のピンチ」と呼べるかもしれません。しかし、私たちはこれを「最大の恵みの時」として抱きしめています。なぜなら、私たちキリスト者にとって、一番大切なのは「信仰」だからです。信仰によって生きること、そして最後は信仰によって天に召されること。これこそが、最高の人生ではないでしょうか。
素敵な人生とは、最後の幕引きで決まるのではありません。それは、日々の歩みの中で、どれだけ希望を持ち、愛を分かち合い、困難の中にも光を見出し、神への感謝と共に生きたかによって紡がれていくものです。悲しみや試練のただ中であっても、私たちの心には決して消えることのない希望の光が灯っています。
さあ、顔を上げましょう。あなたの人生は、今この瞬間も、神の祝福に満ちた素晴らしい物語の途中です。
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