迷路を抜けるための、たった一つの「座標」
凛とした寒さと、絡まり合う思考
今朝の仙台は、空気が研ぎ澄まされた刃物のように冷たく、肌を刺します。でも自分はこれを美味しく味わっています。いつものように走り出すと、足元から伝わる硬いアスファルトの感触が、複雑に絡まりがちな思考を少しずつ解きほぐしてくれるのを感じます。私たちは、なぜこうも「シンプル」を求めて「複雑」に迷い込んでしまうのでしょうか。
吐き出す息が白く濁っては消えていくように、私たちの悩みも、本来はもっと形のない、シンプルなものだったはずなのです。
「賢さ」を強要される世界の仕組み
今の世界を見渡すと、まるで「考えない者は、容赦なくダメージを受ける」という厳しい仕組みが出来上がっているようです。 情報の洪水、複雑な社会システム、突然訪れる環境の変化。
賢く、柔軟に立ち回らなければ生き残れない……そんな焦燥感に、私たちは背中を押され続けています。
- シンプルな人生を、わざわざ複雑に生きている自分。
- 複雑な出来事を、驚くほどシンプルに受け流せるあの人。
その違いは、どこにあるのでしょうか。 私たちは皆、「何が大事で、何が大事でないか」を一瞬で見極め、迷わず一歩を踏み出せる人になりたいと願っています。けれど、現実は思うようにいかず、ささいな選択に迷い、状況に振り回されては自分にがっかりしてしまう。
この「どうすれば幸せに、賢く生きられるか」という問いは、人類が何千年も解けずにいる、永遠の課題なのかもしれません。
嵐の真ん中で、針を固定する
人生のハンドルを握り、荒波を越えていくために必要なのは、優れたテクニックや膨大な知識ではありません。 それは、どれほど船が揺れても、常に「北」を指し続けるコンパスの針です。
聖書は、私たちの人生を複雑にしている「恐れ」や「欲」を、たった一つの愛で貫いてみせます。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイによる福音書 6章33節)
あれもこれもと抱え込み、すべての「もしも」に備えようとするから、人生は複雑になります。けれど、**「主イエス・キリストを信じ、その愛の中に留まる」**という一点に座標を定めるとき、世界は驚くほどシンプルに姿を変えます。信じるか信じないかに関わらず、これは一つの事実です。
「主が共におられるから、大丈夫だ」という確信。これこそが、どんな突然の出来事にも恐れず、迷わず、柔軟に対応できる「本当の賢さ」の正体ではないでしょうか。
希望を胸に、今日を造り上げる
人生は短いけれど、時に重く長く感じられます。 けれど、あなたが「大切なもの」をたった一つだけ握りしめているなら、その道はもう迷路ではありません。立派な答えが出なくてもいい。
今日という一日の中で、「これは本当に大切だろうか?」と自分に問いかけ、愛のある方を選び取っていく。その繰り返しのなかに、満足と幸せは静かに宿ります。冷たい風の中を、まっすぐに。
あなたを愛し、導いてくださる主と共に、新しい一歩を踏み出しましょう。
今日も、最後まで精一杯に生きることです。
今日は久々に豚キムチ炒めを作りました。ご飯が進む一品料理です。
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