「私には、何があるのか」という問い
転職を考えたり、予期せぬ挫折を味わったりしたとき、私たちは決まって自分自身を厳しく「検品」し始めます。
- 「私に、誇れるキャリアはあるだろうか?」
- 「誰かに胸を張って示せる実績が、何か一つでもあるだろうか?」
そうやって「持っているもの」のリストを作っては、空白の多さにため息をつく。履歴書の一行を埋めるために、必死で「残せるもの」を探し回る。けれど、そうして何かを積み上げても、心に空いた小さな穴が塞がることはありません。
人生は、瞬きをするほどに短い。 けれど、悩みの霧の中にいる夜は、果てしなく長く感じられます。 その短さと長さの狭間で、私たちは「結果」という名の果実を急いで収穫しようと焦ってしまうのです。
「何を残すか」ではなく「何を造るか」
しかし、少しだけ視点を変えてみませんか。 聖書が教えてくれるのは、神様が私たちの「完成品」を欲しがっておられるのではなく、今この瞬間、私たちが共に歩んでいる「プロセス」を愛しておられるということです。人生とは、何かを倉庫に貯蔵していく「蓄積」ではありません。
それは、目の前の土を耕し、名もなき種を植え、まだ見ぬ明日へと向かって道を切り拓いていく**「創造」**の営みです。
- 立派な肩書きを残すことより、今日、隣人に優しい言葉をかけたこと。
- 大きな富を遺すことより、誰かの痛みに身を重ね、共に祈ったこと。
たとえ世間からは「挫折」と見える場所であっても、そこであなたが自分と向き合い、誠実であろうと努めるなら、あなたは今、最高に貴い人生を「造り上げて」いる最中なのです。誇れるものは、目に見える成果である必要はありません。
「今日、私は精一杯に愛しようとした」というその意志こそが、あなたの人生を形作る最も美しい光の糸になります。
希望を持って、新しい風の中へ
人生は短いからこそ、愛する人を愛する時間を慈しみたい。 人生は長く感じるからこそ、ゆっくりと時間をかけて、良きものを育んでいきたい。「誇れるものがない」と下を向く必要はありません。あなたが今、その足で大地を踏みしめ、悩みながらも「前進」しようとしている。その姿そのものが、神様が造り上げようとしている一つの壮大な物語なのです。完成図が見えなくても大丈夫。主があなたの手を取り、一歩ずつ、新しい色を編み込んでくださいます。
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