小さな働き、大きな幸せ 〜家族のために生きる〜
午後は、妻を八木山まで送り届けたあと、帰りにベニマルで少し買い物をして帰宅。今日は昼間こそ温かかったものの、夕方にはまた冷え込んできました。白菜スープをコトコト煮込みながら、二人が帰ってきたときに温かく迎えられるようにと準備を整えました。
洗濯物を取り込みながら、ふと考えました。 「誰かのために働くことって、なんて素晴らしいんだろう」と。 特に、それが家族のためであるなら、なおさらです。
けれど、世の中にはこうした日常を持てず、一人で寂しく過ごしている人もいます。 私も昼間は一人で家を守っていますが、夕方になれば、夜になれば、家族が帰ってくる。
その確かな予感が、今を支えてくれています。
一つ屋根の下に、共に暮らす家族がいること。 それはたしかに「幸福」と呼べるものです。 でも、その幸福を「当たり前」と感じることは、決して自然なことではありません。
そこには、見えない努力や、時には小さな犠牲が積み重ねられているのです。
努力も犠牲もなしに、ただ「幸せになりたい」と願うだけでは、幸福はなかなか近づいてきません。 むしろ、遠ざかってしまうことさえあります。
なぜ努力するのか。なぜ犠牲を惜しまないのか。 それは、その先にある平和と幸福が、本当に価値あるものだからです。
だから私は、夕食の支度も、洗濯物の取り込みも、明日のゴミ出しの準備も、嫌になりません。 むしろ、それらは「喜び」なのです。
家族のためにできることがある。 それが、今日を精一杯に生きる理由になります。今日も、家族のために。 今日も、神さまの前で、悔いのない一日を。
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