【灯をともす:四旬節の旅路】第12日:孤独な裁き ―― レッテルを越える主の眼差し
1. 聖書の場面:法廷に立つ無罪の罪人
「ピラトは言った。『お前はユダヤ人の王なのか。』……イエスはお答えになった。『わたしの国はこの世のものではない。』」(ヨハネによる福音書 18章33-36節)
主イエスは、当時の権力者ピラトの前に立たされました。そこには真実の対話はなく、あるのは「政治的利用価値」と「社会的なレッテル」だけでした。
宗教指導者たちは主を「冒涜者」と呼び、群衆は「反逆者」というラベルを貼って叫びました。たった数日前まで「ホサナ」と迎えた人々の記憶から、主がなされた数々の癒やしや愛の奇跡は、一瞬にして消え去ったのです。世界は、主イエスをただ一つの「死罪に値する犯罪者」として記憶に刻み込もうとしました。
2. 心の揺らぎ:剥がれない「レッテル」という恐怖
現代を生きる私たちは、先生が仰る通り「レッテルの社会」に生きています。一度の過ち、一度の失敗、あるいは他者から貼られた「不十分な人間」というラベル。それがSNSや人々の噂を通じて拡散されるとき、私たちのこれまでの誠実な歩みは、まるで最初からなかったかのようにかき消されてしまいます。
「自分はもう、このレッテルと共に生きていくしかないのか」という絶望。それは、介護に疲れ果て「自分は失格だ」と自分にラベルを貼ってしまう兄弟姉妹の孤独にも、看護の現場で「声なき存在」として扱われる患者さんの痛みにも通じています。
3. 核心:神は「過去」ではなく「あなた」を見ている
しかし、十字架への道を歩まれる主イエスは、人々の貼ったレッテルをすべてその身に引き受けながらも、ご自身の尊厳を失われませんでした。なぜなら、主は「世の評価」ではなく「天の父の眼差し」の中に生きておられたからです。
世界があなたにどんなレッテルを貼ろうとも、主はあなたのこれまでの歩み、流した汗、誰にも見せなかった祈りの距離をすべてご存じです。
一つの過ちで人生を否定する世界の中で、主だけは「それでも、あなたはわたしの愛する子だ」と言って、消えることのない愛の印を、私たちの心に刻んでくださいます。
現代人へのメッセージ
2026年3月2日、月曜日。 今日から新しい一週間、あるいは新しい旅が始まります。
過去の失敗や、誰かの心ない言葉が、あなたの心に「剥がれないラベル」のようにこびりついていませんか。
「自分はもうダメだ」「あの人はあんな人間だ」と、自分や他者を一つの色で塗りつぶしてはいませんか。
主イエスは、人々が投げつけた「犯罪者」というレッテルを十字架の上に釘付けにされました。主の愛は、私たちの不名誉な過去よりも、はるかに大きいのです。
今日、人からの評価という重荷を下ろし、主があなたを呼ぶ「尊い者」という名前に耳を澄ませてみましょう。
主と共に、新しい一歩を踏み出しましょう。
今日も、前進です。