500キロの祈り、静かなる正義の鼓動
朝の光と、足音だけの対話
今朝、30キロを走り抜きました。 肺に流れ込む空気の冷たさ(冬と異なる春の美味しいちょっと冷たい空気です。)、リズムを刻む心臓の音、そしてアスファルトを叩く一歩ずつの感触。明日、残りの15キロを走れば、この3月の累計走行距離は500キロに達します。
500キロ。 それは、私にとって「祈りの距離」に他なりません。 一歩踏み出すごとに、誰かの痛みをおぼえ、一歩進むごとに、主との対話を深める。命がある限り走り続け、走り続ける限り祈り続ける。その繰り返しが、私の人生を形作っています。
「小さき者」が世界を動かしている
今の世界を見渡せば、戦争の足音や政治の不条理、解決の糸口が見えない混迷が広がっています。巨大な力や声の大きい主張ばかりが目立ち、私たちはつい「自分一人の誠実さに何の意味があるのか」と立ち止まりそうになります。
しかし、世界を本当に動かしているのは、歴史の表舞台に立つ人々ではありません。 今日という一日を、自分の持ち場で、誰にも見られない場所で、精一杯、誠実に生きている「小さき者たち」の営みです。
多くの数は必要ありません。 打算のない、純粋で静かな「少数」の力が、淀んだ空気を震わせ、世界を正しい方向へと押し進めるのです。週120キロを走る一人のランナーが、その孤独な道のりで世界平和を願うとき、その祈りは確実に天に届いています。
放置する勇気、信じる強さ
ヨハネの黙示録には、驚くべき言葉が記されています。 「不義を行う者には、なお不義を行わせ、……正しい者には、なお正しいことを行わせなさい」と。
不義に走り、偽りによって何かを得ようとする人々を見て、私たちは憤り、妬み、あるいは憎しみに心を支配されそうになります。しかし、その必要はありません。彼らの行き着く先がどこであるかを、私たちは知っているからです。
悪意に対して悪意で応えることは、自分自身をその不条理な渦に投げ込むことと同じです。 「放っておく」という勇気を持ってください。
彼らを裁くのは私たちではなく、神様です。私たちは、彼らの姿に心を乱す時間を、自分自身の「道」を整える時間へと変えていけばよいのです。
私たちが選ぶ「一歩」のゆくえ
私が選ぶ道は、決まっています。 正義の道、愛の道、信仰の道、そして平和の道。
それは、500キロのランニングのように、地味で、時に苦しく、忍耐を必要とする道かもしれません。しかし、その道こそが、本当の「生き生きとした希望」へと繋がっています。世界がどんなに複雑に見えても、私たちの生き方はシンプルでいい。
ただ、主が示してくださった光の方角へ、今日の一歩を誠実に踏み出すこと。 その足音の積み重ねが、やがて世界を癒やす大きな響きになると信じています。
明日の朝、最後の15キロを走り終えるとき、先生の心にはどんな景色が広がるでしょうか。 500キロの祈りを抱えて、私たちはまた新しい季節へと足を踏み入れます。
今日も、前進です。


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