語られない35キロと、家族という名の「日常」
潮風の余韻と、550キロの足跡
今朝は仙台市内を駆け抜け、最後は荒浜の海沿いを目指しました。 視界に広がる海と、頬をなでる潮風。走り終えたとき、手元の時計は35キロの完走を示していました。
これで今月のランニング距離は、18日間で累計550.31kmに達しました。
さすがに体に疲労の色は隠せませんが、心地よい達成感と共に帰宅の途につきました。しかし、私の「今日」という本番は、ここから始まったのです。
「パパ、駅まで送って」という名のスイッチ
玄関を開けた瞬間、「パパ、駅まで送って」という娘の声が響きます。 35キロを走り抜いたばかりの足には、少しばかり酷なリクエストかもしれません。けれど、それは私にとって「断れない相手」からの願いです。
「わかった!」と短く答え、急いでシャワーを浴び、SAVASで体の回復を図ります。
娘を送り届け、一息つく間もなく、今度は妻から「10時半に(バイト先まで)送りをお願いします」との言葉。
その合間を縫うようにして、床屋へ行き、お店で玉子を買って帰る。 35キロの孤独な疾走から一転して、私は「家族」という歯車の中に組み込まれていきました。
知られないことに宿る、静かな愛
面白いのは、家族の二人は、私が今日どこまで走り、何キロを完走してきたのかを知らないということです。 私自身もそれを言おうとは思いません。説明することをどこか「面倒だ」と感じている自分もいます。でも、それで良いのだと受け止めています。
家族とは、誰がどれだけ頑張ったかを誇示し合う場所ではありません。
聖書には、このような教えがあります。
「あなたの父は、隠れた場所で見ておられ、あなたに報いてくださる。」 (マタイによる福音書 6章6節)
自分が成し遂げた35キロの重みを、誰かに認めてもらう必要はないのです。 相手が自分の苦労を知らなくても、求められたときに「いいよ」と言えること。家族という名の下で、誰かのために自分の時間と体を使うこと。
この「見えない献身」の積み重ねこそが、家族という関係を形作り、平穏な日常を支えている。何も言わず、何も聞かれず、ただそこにある役割を全うする。その静かな関係の中にこそ、確かな信頼が息づいているのだと感じます。
一休みの暇(いとま)を慈しんで
全ての送迎と用事を終え、ようやく一服する時間が訪れました。
35キロの疲労と、家族を送り届けた満足感が、静かに混ざり合っています。
あなたの日常にも、「自分だけが知っている頑張り」があるかもしれません。
それを誰にも気づかれず、当たり前のように過ごすことに、寂しさを感じることもあるでしょう。けれど、その隠れた一歩を、主は必ず見ておられます。
誰かのために自分を差し出すその姿は、数字には表れない、何よりも尊い「愛」の記録です。
さあ、少しだけ肩の荷を下ろして。 また明日、それぞれの持ち場で、自分にしか分からない誠実な一歩を踏み出しましょう。
今日も、共に前進です。
0 件のコメント:
コメントを投稿