2時33分の静寂の中で ―― 「数字」よりも「今」を生きる
深夜と早朝の狭間に目覚めて
午前2時33分。 ふと、深い眠りから一息に引き上げられるようにして目が覚めました。
いつもなら途中で一度目が覚めることもあるのですが、今朝は珍しく一度の眠りで、この静謐な時間へと辿り着きました。まだ街が深い眠りについている中、いつもの朝のルーティンワークを始めます。静かな祈り。部屋の掃除。
そして、ひんやりと感じる外の空気を吸いながら愛犬ノアちゃん(彼もまた、この静けさを楽しんでいるようです)との散歩。聖書を紐解き、少しの仕事を済ませる。窓の外が少しずつ青ざめていくのを感じながら、私は今日という一日の輪郭をなぞり始めます。
515km、その先にある「迷い」
今日は木曜日。私の心には、一つの小さな「迷い」が生じていました。ここ二日間、私は走り続けました。本来なら、今日は休息日にあてるのが妥当なスケジュールです。
しかし、ふと計算機を叩くように頭の中に数字が浮かびます。この4月の累積走行距離は、515.21km。 もし今日、いつものように走り出せば、その数字は535kmに達します。
「数字を積み上げたい」というランナーとしての情熱と、「体を休めるべきだ」という冷静な声。私たちは日常の中で、こうした「結果」や「効率」の計算に、つい心を奪われてしまいがちです。どれだけ積み上げたか、どれだけ目標に近づいたか。それは確かに一つの指標ではありますが、時として私たちの「今」を、数字という檻の中に閉じ込めてしまうこともあります。
コントロール可能な「今日」に命を注ぐ
葛藤の中で、私が行き着いた答えはシンプルでした。 それは、「とにかく今を生きる」ということです。与えられた命は、どこか遠い目標を達成するためだけにあるのではありません。「生きるための命」です。聖書には、このような言葉があります。
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」(マタイによる福音書 6章34節)
明日の体調はどうなるか、明日のスケジュールはどうなるか。それは誰にも、私自身にもコントロールできません。私たちが唯一、心を砕き、精一杯に生きることができるのは「今日」という、今この瞬間の時間だけです。
悔いのない今日の人生を生きること。それは、数字を追うことよりもずっと難しく、そしてずっと尊いことです。515kmでも、535kmでも、その数字の多寡が私の価値を決めるのではありません。今、与えられたこの命を、どれだけ誠実に、喜びを持って使い切るか。それこそが、被造物である私たちが創造主に対して応えるべき、唯一の道ではないでしょうか。
悔いのない「今」を、一歩ずつ
結局、私はシューズを履くかもしれません。あるいは、静かに身体を休めるかもしれません。どちらの道を選んだとしても、そこに「悔い」はありません。なぜなら、それは明日のための打算ではなく、今日を精一杯生きるための、私なりの決断だからです。
あなたは今日、何に心を奪われていますか? まだ見ぬ明日の不安や、過去の数字に縛られてはいませんか?
自分がコントロール可能な「今日」という人生に、全力を注いでみてください。その積み重ねこそが、誰にも奪えないあなただけの「人格」となり、歩みとなります。
新しい一日というギフトを、精一杯、使い切りましょう。
今日も、共に前進です。
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