春風の中を走り、日常という「聖所」を守る
荒浜へと続く、40キロの対話
今朝は荒浜まで走りました。距離にして40キロ。 早朝の空気はひんやりと心地よく、木々はいつの間にか瑞々しい緑の衣装に着替えています。一歩踏み出すたびに、春の風が頬をなで、遠くから潮の香りが届く。「今は、走るには最高の季節かもしれない」
そう心の中で呟きながら、自分の呼吸と心拍に耳を澄ませる時間は、私にとって神様との密やかな対話の時間でもあります。40キロという道のりは、決して楽ではありません。しかし、体を動かし、大地を踏みしめる感覚は、自分が「今、ここで生かされている」という確かな手応えを教えてくれます。
画面越しに流れ込む「不条理」と、心の境界線
ところが、心地よい疲労感と共に帰宅し、栄養を補給してふとニュースに目を移すと、そこには先ほどまでの静寂とはあまりにかけ離れた世界が広がっていました。
無念にも遺体で発見された小学生のニュース。 再び戦火の足音が近づくイランとアメリカの緊張。 互いを批判し、非難の言葉を投げつけ合う世界の指導者たち。
つい数分前まで全身で感じていた「平和な春」が、一瞬で色あせてしまうような不条理の奔流。私たちは、あまりにも多くの「痛み」を、処理できない速さで受け取りすぎているのかもしれません。そこで私は決めました。**「ニュースを見るのは、週に一度、土曜日だけにする」**と。 これは世界から目を背けることではありません。むしろ、世界のために祈り、誠実に生きるための「心の境界線」を引くという決断です。
料理をすること、愛を送ること――それが「平和」の最前線
聖書には「自分の持ち場を誠実に守る」ことの大切さが、繰り返し語られています。 巨大な世界の潮流を変えることは、私たち一人の力では不可能に見えるかもしれません。しかし、私たちの「日常」という半径数メートルの中には、私たちが守るべき確かな平和があります。
- パートに向かう妻を笑顔で見送ること。
- 家族のために、心を込めて買い物をして料理を作ること。
- 与えられた説教や講演の仕事を通して、一言でも希望の言葉を紡ぐこと。
これらの、傍目には何気ない「ルーティンワーク」こそが、実は不条理な世界に対する最大の実践であり、神様の栄光を現す「聖所」なのだと気づかされます。
世界がどれほど騒がしく、非難の言葉が飛び交っていたとしても、私たちはキッチンで野菜を刻み、大切な人の無事を祈り、自分のやるべきことを誠実に果たすことができます。この「小さな誠実さ」の積み重ねこそが、荒れ狂う世界を静める小さな、しかし確かな一滴になると信じています。
「前進」への派遣
皆さんの今日という日の中にも、守るべき大切な「日常」があるはずです。 ニュースの騒音に心を奪われそうになったら、一度深く呼吸をして、足もとの一歩に集中してみませんか。あなたが家族のために注ぐ一杯のお茶、あなたが誠実にこなす目の前の仕事。
その一つひとつに、神様の平和が宿っています。
遠くの嵐を嘆くよりも、まずは自分の足もとを優しく照らす光になりましょう。 その小さな光が、いつか世界を照らす大きな希望へと繋がっていくはずですから。
今日も、前進です。
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