静寂を走る、安息を眠る ―― 70キロの先に見た「確かなもの」
朝の鼓動、八幡宮へ続く道
今朝は久しぶりに八幡宮の方面へと足を向けました。 冬の姿が消え去り、街が少しずつ春の色彩を帯びてくると、道ゆくランナーの数も目に見えて増えてきます。5月の仙台国際ハーフマラソンを目指しているのでしょうか。誰かと競うのではなく、自分の中の目標に向かって黙々と地面を蹴る人々の姿・・・
今朝の足取りは、決して軽いものではありませんでした。昨日の40キロ走の疲れが、筋肉の奥底に確かに残っています。それでも「走りたい」という心が勝り、気がつけば30キロ。私は自分の体と対話しながら走り抜けました。
喧騒の世界と、整えられたルーティン
走りながら考えるのは、この不条理な世界のこと、そして今日という日に果たさなければならない小さな役割のことです。
ニュースを開けば、目を覆いたくなるような事件や、争いの火種が絶えません。世界は私たちの思い通りには動かず、時に残酷な横顔を見せます。しかし、その大きな奔流に飲み込まれそうになる時、私を支えてくれるのは、日々の「ルーティンワーク」という名の規律です。
家族のために買い物に行き、料理を作り、託された言葉を紡ぐ。 一見、同じことの繰り返しのようで見落とされがちなこれらの時間は、実は私たちの魂を現実に繋ぎ止める「錨」のような役割を果たしています。世界がどれほど騒がしくても、私は私の持ち場を誠実に守る。その静かな決意が、42.195キロよりも長い人生という道のりを支えてくれるのです。
「止まる」という名の信仰
今夜、わずか2時間半の眠りから目が覚めました。いつものことですが、静まり返った夜の帳の中で、少しだけ仕事を進め、「明日のランニングは休もう」と決めました。
走ることは情熱ですが、休むことは「知恵」です。 聖書は、天地創造の最後に神が安息されたことを伝えています。それは、何もしないことではなく、すべてを神の御手に委ね、自らを整えるための聖なる時間です。
「走りたい気持ち」に従う日があれば、同じくらい強い意志を持って「走らない」ことを選ぶ日も必要です。極限まで自分を試した後に訪れるこの休息こそが、次の一歩をより力強く、より確かなものへと変えてくれるのです。
「前進」への派遣
今日一日の終わりに何を感じましたか? 思い通りにいかないことばかりの世の中ですが、それでも「すべてが無事に終わった」と感謝できる瞬間があるなら、それは一つの小さな勝利です。無理に走り続ける必要はありません。
時には立ち止まり、深く眠り、体と心を主に委ねる。その静かな時間の中にこそ、明日を生きるための本当のエネルギーが蓄えられていきます。
深い二度寝のあとに訪れる、新しい朝。 そこには、今日よりも少しだけ強くなったあなたが待っているはずです。
では平和な夜を。


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