変わりゆく風を読み、変わらない愛を刻む ―― 33キロの朝に思うこと
朝焼けが連れてくる、新しい季節の予感
午前四時を過ぎると、杜の都・仙台の空はしらじらと明けてきます。今朝は四時半にシューズの紐を締め、走り出しました。まだひんやりとした空気が頬をなでる、静かなスタートです。長町から五橋を抜け、眠りから覚めきらない仙台駅前を通過。榴岡公園の木々の間を走り、卸町の市場から荒井の田んぼ道へ。目の前に広がるのは、都会のビル群から瑞々しい田園風景へと移ろう、鮮やかなグラデーションです。
三十三キロ、三時間弱。身体がリズムに乗り、地面を蹴る感触が心地よい完走でした。今はまだ、水を用意しなくても走りきれる爽やかな気候ですが、足元には確実に「次の季節」が近づいているのを感じます。
「今まで通り」が通用しなくなる時
五月に入れば、状況は一変します。気温が上昇し、昨日までと同じペースで走れば、身体は悲鳴を上げるでしょう。これからは「水」を携帯し、上昇する熱に注意を払い、時には山際での熊の気配にも神経を尖らせなければなりません。
私たちは人生においても、つい「今までこうだったから」という慣習に頼って走り続けてしまいます。けれど、季節が変われば、走り方も変えなければなりません。自分の体力、環境の変化、目に見えないリスク。それらを無視して猛進することは、勇気ではなく「無謀」です。「注意して走る」ということは、弱さの証ではありません。それは、与えられた命という器を大切に扱い、目的地まで確実に届けるための「知恵」であり、「誠実さ」なのです。
自分を整えることは、誰かを愛すること
聖書は、私たちの体を「聖霊の宮」として大切にすることを教えています。そして、主はこう語られます。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイによる福音書 6:33)
私たちが今日も、主のために、家族のために、そして出会う人々のために精一杯生きようと願うとき、まず私たちがすべきことは「自分を健やかに保つこと」です。
自分が乾ききっていては、誰かに水を分かち合うことはできません。自分が疲弊しきっていては、笑顔を届けることもできません。これからやってくる厳しい暑さに備えて水を備えるように、私たちの心にも「愛」と「忍耐」という蓄えが必要です。特別な何かを成し遂げなくてもいい。ただ、少しの笑顔を。目の前の人への、小さな親切を。その「一滴の愛」を絶やさないために、私たちは日々、自分の歩みを点検し、整えていく必要があるのです。
笑顔という「心の潤い」を携えて
走り終えた今の私の心には、三十三キロを走り抜いた達成感と共に、今日という一日をどう彩るかという静かな決意があります。
あなたの周りの「季節」も、今、変わりつつあるかもしれません。少し体が重いと感じるなら、休んでもいい。喉が渇く前に、心に潤いを与えてあげてください。
今日という舞台。主のために、大切な誰かのために。少しの笑顔と、柔らかな愛を持って。その一歩が、誰かの心を温める光になりますように。
今日も、前進です。
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