50点の朝に灯る、小さき一歩
―― 「止まらない」という名の、確かな信仰
午前五時の重い身体、冷たい靴紐
新しい朝が目を覚ますとき、私たちの心と身体は、いつも完璧な満点を示しているわけではありません。
今朝の私のコンディションは、お世辞にも万全とは言えない「50点」。 ずっしりと残る昨日の疲れを前に、身体は「今日は横になっていよう」とささやき、心は「いや、それでも路上へ出よう」と促す。50点という限られたエネルギーの境界線の上で、今朝もまた身体と心の静かな闘いが始まりました。
結果として、いつものことですが、今回も心が勝ちました。 時計の針が五時を過ぎた頃、私は玄関のドアを開けて外の空気のなかへ這い出していきました。走り出してすぐ、やはり思うようにスピードが出ないことを自覚します。呼吸はいつもより重く、一歩一歩が路面を重く叩く。けれど、私は足を止めませんでした。ただ淡々と、止まらずに、前に向かって走り続けたのです。
「気持ちよさ」の彼方にある、闘いとしてのラン
今日のランニングは、澄んだ朝風を心地よく感じるような、爽快なものでは決してありませんでした。最初から最後まで、自分の弱さや重みと愚直に向き合い、闘い続けた23キロ。走り終えたとき、手元の時計が示したペースは1キロあたり5分21秒でした。限界を感じる身体のわりには、よく崩れずに走り切れたなと思うと同時に、内側からはもう一つの「心の悲鳴」が小さく湧き上がってきます。
「今日から明日まで、教区総会だ。疲れるな、しんどいな……」
これから始まる大切な公務、長時間の議論や調整。これから向かう予定の山積みのタスクを前に、私の魂は早くもプレッシャーを感じて身構えていたのかもしれません。
周囲を見渡せば、今日、娘は自らの持ち場である実習へと励むために出かけていきます。彼女もまた、慣れない環境のなかで必死に自分の闘いに挑んでいる。そして、私たちがそれぞれの戦場へと向かう日中、愛犬ノアちゃんは我が家で静かに留守番を担ってくれます。
誰もが、それぞれの重荷と、それぞれの「50点の現実」を抱えながら、今日という火曜日を生きようとしているのです。
100点満点を求めない、神の優しいまなざし
私たちは現代社会の中で、「いつでも元気で、成果を上げ、完璧でなければならない」という、見えない100点満点のプレッシャーに追われがちです。仕事でも、家庭でも、信仰生活においてさえも、100点を出せない自分を責め、無力感に苛まれてしまう。
しかし、神様が私たちに求めておられるのは、疲れを知らない鉄人のような強さではありません。むしろ、エネルギーが半分しか残されていない「50点の状態」のなかで、それでも差し出された今日の一歩をどう踏み出すかという、その姿をじっと見つめておられるのです。
聖書は、重荷を背負い、内なる悲鳴を上げながらも歩みを進める人々へ、このように寄り添う言葉を届けています。
「疲れた者に力を与え、勢いのない者に勢いを増される。若者も倦み、疲れ、壮年もよろめき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新たなる力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走っても倦まず、歩いても疲れない。」(イザヤ書 40章29〜31節)
よろめき、心の悲鳴を上げるのは、あなたがそれだけ今を真剣に、精一杯に生きているという何よりの証拠です。神様は、スピードの出ない私たちの遅い歩みを決して急かすことはされません。ただ、倒れずに「止まらずに歩み続ける」その小さき足取りを、大いなる愛の手で支え、担ってくださるのです。
不完全な今日のまま、生きる
新しく手渡された今日という日のなかで、あなたの心のコンディションは何点を示しているでしょうか。早くも心に疲れが溜まり、「しんどいな」と足が止まりそうになってはいませんか?満点ではない自分を、どうか責めないであげてください。私たちは、50点なら50点なりの、その時にできる精一杯の歩幅で、目の前の路を刻めばそれで良いのです。
- 悲鳴をあげる自分を許す: 「疲れるな」という心の声を否定せず、「それだけがんばってきたんだね」と、自分自身の魂をまず優しく労ってあげる。
- 「止まらない」を選ぶ: スピードは出なくても、劇的なジャンプはできなくても、今日与えられた持ち場(実習、仕事、家事)の中で、淡々と最初の一歩を踏み出す。
- 身近な存在の尊さを覚える: 自分のために家を守ってくれるノアちゃんの静けさや、それぞれの場所で奮闘する家族の存在を想い、日常のなかに隠された小さな感謝のピースを集める。
一歩を前に、生きるのだ
走り終えた脚に少しの痛みを覚えながら、私は今、教区総会という次なる大切なスタートラインへと向かう準備を調えています。
どんなにしんどくても、どんなに先行きが不透明に見えても、私たちは今日という奇跡の一日を「生きる」ために送り出されています。完璧な条件が揃うのを待つ必要はありません。私たちはすでに、帰るべき温かい食卓と、共にいてくださる神様のまなざしを持っているのですから。身体の悲鳴をそっと大きな愛の中に委ねて、肩の力を抜き、確かな足取りで今日の一歩を前に進めていきましょう。
今日も、共に前進です。
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