ひとつの器に満ちる無事 ―― 久しぶりのサバ定食と、それぞれの帰還
いつものドアを開ける、安堵の夜
教区総会の一日目が終了し、夜の気配が満ちる頃、無事に我が家へと帰宅しました。やはり、大きな公務の後は心地よい疲労感がずっしりと身体に残ります。心から「疲れました」と、深い息がこぼれます。
玄関で靴を脱ぐと、日中きちんと留守番をしてくれていたノアちゃんが迎えてくれました。そして、今まさに、娘も病院での実習を無事に終えて帰宅しました。
それぞれが自分の持ち場で、自分なりの闘いを繰り広げてきた火曜日。こうして再び同じ屋根の下に集まり、家族全員が無事に「帰還」を果たしたこと。その当たり前のようでいて、決して当たり前ではない事実に、胸の奥から静かな感謝が湧き上がってきます。
手渡されたお弁当と、数年ぶりの外食の味
今日の総会では、お昼にお弁当が手渡されました。 私はそのお弁当を持って、事務所で働いている妻のところへ行き、それを彼女に手渡しました。(妻はお昼の時間、コーヒー販売などの仕事があるので)そして自分自身は、近くにあるお店へと足を運び、そこでご飯を食べることにしたのです。注文したのは、じっくりと火が通された「サバ定食」。
湯気のあがる焼き魚を箸でほぐしながら、ふと気がつきました。こうして自分の家やいつもの台所ではなく、「お店」に入って腰を落ち着けてご飯を食べたのは、もしかしたら数年ぶりのことかもしれない、と。そして、丁寧に焼かれた魚の味を外でいただくことも、本当に久しぶりの豊かな時間でした。私たちは日々のルーティンや役割のなかで、知らず知らずのうちに自分の行動範囲や習慣の枠を固定してしまいがちです。けれど、いつもと少しだけ違う選択をしてみること。誰かにお弁当を譲り、自分は違う扉を開けてみる。そのささやかなひと手間の先に、忘れていた新鮮な感謝の味が待っているのです。
会場では、久しぶりに出会った山形の先生と言葉を交わすことができました。それぞれが全く異なる場所で、それぞれの重荷を背負いながらも、主に用いられ、誠実に活躍している姿。その横顔に接することができたことも、今日という一日を優しく支えてくれる大きな恵みでした。
悲鳴をあげる前に、器を休める知恵
今日の23キロの闘いのようなランニングを経て、さらに総会の議論を重ねた身体は、今、確実な休息を求めています。
だからこそ、私は心の中で「明日もランニングは休むことにしよう」と決めました。知らんけど、とりあえず今はそういうつもりです。
明日の朝、また心の取引が始まるかもしれませんが、今の自分のコンディションに正直になり、「休む」という決断を自分に許してあげること。それもまた、長く走り続けるための大切な信仰の知恵です。
聖書は、私たちが自らの限界を知り、神様の平和のなかに身を委ねることの大切さをこのように語りかけています。
「あなたがたは、立ち返って静かにしているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。」(イザヤ書 30章15節)
活動の強火を一度止め、余熱のような静けさのなかで、与えられた恵みをじっくりと咀嚼する。外でどれほど世界の秩序が乱れ、社会が忙しく動いていようとも、私たちは自分の器のサイズに合わせて、静かに息を整える聖域を持っています。
今日を肯定し、それぞれの荷を降ろす
火曜日の今日、あなたの身体と心は、どれほどの疲れを溜め込んでいるでしょうか。スタートしたばかりなので「まだまだがんばれる」と、自分を追い込みすぎてはいないでしょうか。誰かと比べるのをやめ、自分たちが無事に一日を終えられたことに、ただ真っ直ぐに目を留めてみましょう。
- 出会いの足跡に感謝する: 久しぶりに会った人の活躍を喜び、互いの無事を執り成し合うなかで、心の国境線を優しく溶かしていく。
- 小さな非日常を味わう: 数年ぶりの外食や久しぶりの焼き魚のように、日常のわずかな変化のなかに隠されている新鮮な喜びを、見落とさずに受け取る。
- 「休む決意」を堂々と持つ: 明日のことは、明日になってみなければ分かりません。だからこそ、今は「休むつもりだ」と自分の身体の声を尊重し、魂に深いゆとりをプレゼントする。
温かい食卓と、それぞれの眠りへ
昨日仕込んだキャロットパウンドケーキの甘い記憶をどこかに残しながら、我が家には、実習を終えた娘の息遣いと、しっかりお留守番をしてくれたノアちゃんのぬくもりが満ちています。明日は教区総会の二日目。どのような時間が待っているかは分かりませんが、今夜はただ、家族全員が無事に帰還したという最大の奇跡を両手で抱きしめて、美味しく食べ、深く眠るだけです。
張り詰めた防衛のスコップをそっと降ろして、満たされた心のまま、心地よい夜の帳の中へと一歩を踏み出していきましょう。
今日も、共に前進です。

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