夜明けの匂いと、刻み込まれた足跡——「今日」という恵みだけを生きる
静かな階段と、夜空の瞬き
午前3時。いつものようにノアとの散歩に出るため、中扉を開けて玄関へと向かいました。しかし、二階からはまだ寝息の気配が漂っています。無理に起こすことはせず、下で静かに待つことにしました。しばらくすると、私の匂いに気づいたのか、ノアがゆっくりと階段を降りてきました。さあ、二人の散歩の時間です。
外へ出ると、頬を撫でる涼しい風。見上げた空には細い三日月が浮かび、遠くをよぎるナイトフライトの飛行機の小さな点灯が、静寂の中で瞬いていました。
今の私たちの散歩コースは、長町小学校を一周する道のりです。 ふと、かつて初めてこの仙台の地にやってきた頃の記憶が蘇りました。あの頃は、夜中にライトを灯しながら広瀬橋から川沿いを歩き、太白大橋へ、さらにはベガスのあたりまで、本当によく歩いたものです。二人で太白山まで登ったこともありました。この仙台の街のあちこちに、若き日のノアと共に作り上げた、数え切れないほどの思い出が息づいています。
過去の蓄積が、今の命を支える
散歩から戻り、家の用事を済ませて二階の扉を開けると、ノアが好物のリンゴをじっと待っていました。与えるのは一切れですが、平均して一日に1個は食べさせています。その分、食事は朝と夕の2回のみ。これは彼を迎え入れた最初からの、変わらぬ習慣です。この節制があるからこそ、太りすぎず、今もある程度の元気を保っていられるのでしょう。
しかし、彼が今も命の火を燃やし続けられる最大の理由は、子犬の時から約7年間、毎日20キロ以上の散歩を黙々とこなしてきた過去にあります。あの途方もない距離が強靭な筋肉を作り、共に山を走り回った日々が心肺機能を鍛え上げました。
私たちの人生も同じです。若き日に流した汗、困難な道を避かずに歩んだ経験、そして日々の小さな節制。その時は意味が見出しにくかったとしても、それらの見えない蓄積が「確かな土台」となり、やがて衰えゆく季節を迎えたとき、私たちを根底から支え、生かしてくれるのです。
変化を受け入れ、今日を味わう
毎週、教会の仲間がノアのために、愛に溢れたリンゴ1個ときゅうり1本を届けてくださいます。しかし、時の流れと共にノアの好みも変わり、今はきゅうりを食べなくなりました。だから今は、私が代わりにそのきゅうりをいただいています。
かつてのように何十キロも歩けなくなったこと。きゅうりではなくリンゴだけを好むようになったこと。それは決して「喪失」ではなく、命が新しい季節へ移行しているという自然な変化です。
聖書は「明日のことまで思い悩むな」と語ります。それは裏を返せば、「今日という日に与えられた恵みを、余すところなく味わい尽くしなさい」という招きでもあります。
- かつての広大な行動範囲を懐かしみつつも、目の前の小学校一周の道を愛おしむこと
- 変わっていく互いの姿を、静かな微笑みと共に受け入れること
- 今日与えられた一切れのリンゴの甘みに、全身で感謝すること
まだ見ぬ明日を憂うのではなく、失われた昨日を嘆くのでもなく。ただ、今日という一日、目の前にある命の温もりのために、精一杯に生きるのです。
今日も、共に前進です。
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