玄関のドアの音と、乾かない魂 ―― 私たちを満たす「贈り物」の正体
満たされた身体と、静かな夜の温度
深い夜の帳が下り、家の中に静寂が広がる時間。ふと一息つきながら、今日いただいた食事の余韻と、身体の奥に広がる穏やかな温もりを感じています。
お腹が空いた時に食べたいものを食べられる環境にあること(もちろん、ある程度の限度はありますが)。そして、喉が渇いた時に、自分の意志で飲みたいものを選べる自由があること。
この当たり前のように享受している日常の豊かさに、改めて深い感謝の念が湧き上がってきます。満たされた胃袋と身体の充足感は、私たちが今日を生き抜いた確かな証でもあります。
物質の限界と、魂の渇き
しかし、静かに思索を深めていくと、一つの抗いがたい真実に突き当たります。 それは、食事や飲み物が満たしてくれるのは、あくまで「身体的な状態を満たすための欲求」に過ぎないということです。いくら上質な食事で物質的に満たされたとしても、私たちの心が完全に、そして永遠に満たされるわけではありません。満腹感や美味しいものを食べた時の快感は、確かに私たちを喜ばせますが、数時間もすれば消化され、また次の空腹がやってきます。物質による満足は、決して長くは続かないのです。
人間にとって本当に必要で、もっとも大事なもの。それは心の、さらには「魂の欲求」への満足です。 不思議なことに、私たちの人生には、物質的には少し足りていなくても、心が静かな喜びに満ち溢れている瞬間があります。これこそが、本質的な「幸福感」であり、豊かで揺るぎない人生を生きるための最大の鍵なのです。
自分の手には負えない「恵み」という領域
では、この魂を満たす「幸福感」を、どうすれば長く維持しながら生きていけるのでしょうか。ここに、私たちが手放さなければならない人間の限界があります。この幸福感の維持だけは、「自分の努力や力だけでは不可能な領域」なのです。
自分の力で幸せを掴み取ろう、維持しようと力むほど、それは指の間から砂のようにこぼれ落ちていきます。なぜなら、真の幸福感とは、厳密に言えば自力で獲得する報酬ではなく、上から与えられる「贈り物」だからです。
それは、主なる神様からのプレゼントであり、「神の恵み」です。 自分の力ではどうすることもできない明日の不安や、愛する者の安全。それらをすべて御手に委ね、「ただ、今日与えられているものに感謝して受け取る」という姿勢になった時、私たちの魂は初めて、決して乾くことのない永遠の泉で満たされるのです。
響くドアの音と、恩寵の夜
そんなことを考えていた矢先、ガチャッという玄関のドアが開く音が聞こえてきました。 娘が今日も、アルバイト先から無事に帰ってきた音です。その聞き慣れたドアの音を聞いた瞬間、胸の奥に「ああ、ありがたい」という温かな安堵と感謝が広がりました。
娘が無事に一日を終え、無事に家に帰ってくること。これもまた、私の力でコントロールできるものではなく、神様から毎日新しく与えられている「恵みのプレゼント」です。これ以上の幸福感があるでしょうか。
もし今、自分の力で必死に何かを満たそうとして心が疲れ切っているなら、どうかその握りしめた手を一度ひらいてみてください。 あなたが気づいていないだけで、今日という日の中にも、すでに天から贈られた小さな「恵み」がたくさん散りばめられているはずです。その静かな喜びに魂を浸し、明日への力に変えていきましょう。
平安の内にゆっくりと休まれますように。
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