巡る空模様の中で、心に太陽を宿して歩む
🌅 祈りの足音が響く、夜明けの道
午前4時半。 街がまだ深い眠りの中にあるその時、静けさを切り裂くように走り始めました。
冷たい空気を胸に受けながら青葉山公園を抜け、東へ向かってただ足を運び続けます。今日のコースには、特別な意味がありました。 転院先で闘病を続けている兄弟が入院する病院。その前を通るたび、彼の回復を願って祈りを重ねました。
そして今日は、彼の誕生日。 巡り来る命の記念日に祈りを込めて刻んだ、24キロの道のりでした。
祈りとは、静かに座って捧げるものだけではありません。 一歩一歩、大地を踏みしめる痛みや汗の中で、誰かを思い続ける時間もまた、確かな祈りとなります。
☁️ 曇り空と、運命論の罠
見上げると、今日の空は曇り。 明日はまた雨が降る予報です。 天気は私たちの意思とは無関係に、ただ巡り続けます。
人生も同じです。 雨ばかりの人生もなければ、曇りばかりの人生もありません。 かといって、雲ひとつない快晴ばかりが続く人生もありません。
晴れ・曇り・雨── そのすべてが折り重なって、私たちの人生という空模様をつくっています。訪れた「色違いの人生」をまず受け止めること。
それは諦めではなく、現実を正しく見つめるための大切な姿勢です。しかし、 「雨だから暗く生きなさい」 「曇りだからうつむいて歩きなさい」
という意味ではありません。
🌤 どんな空の下でも「晴れの人生」を生きる
大切なのは、 厳しい現実を受け止めた上で、 「それでもなお、晴れの人生を生きる方法を探す」 という選択です。これこそが、神が私たちに与えてくださった自由であり、希望の源泉です。聖書はこう語ります。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」 (Ⅰテサロニケ 5:16–18)
この言葉は、 「晴れの日だけ喜びなさい」 とは言っていません。
雨の日も、曇りの日も、嵐の夜でさえも、 心の奥に小さな光を灯すことはできる。 病床で誕生日を迎える兄弟のためにも、 外の天気がどうであれ、
心に“晴れの日の平安”が訪れるように祈ることができるのです。
🌱 生きるならば、精一杯に
さて、日常は淡々と、時に容赦なく続きます。 今日の私は、これから歯医者で抜歯を控えています。 痛みを伴う現実であり、決して嬉しい予定ではありません。
けれど、これもまた「今日を生きる」という現実の手ざわりです。
24キロを走り抜いた疲労も、友への祈りも、曇り空も、そして歯を抜く痛みも。 そのすべてを抱えながら、それでも前へ進む。どうせ生きるならば、
どんな空模様の下であっても、 命の限り、精一杯に生きる。外が雨でも、 心に太陽を宿して歩み続ける。
只今、地震が・・・・これも突然訪れるものです。
今日も、共に前進です。
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